慰安婦問題の日韓合意から1年を迎えた12月28日、韓国の「聯合ニュース」は、植村隆さんのインタビュー記事を掲載しました。こちら
植村さんは、合意は「終わりではなく始まり」、「(1993年の)『河野談話』の精神を生かして記憶の継承、歴史教育に力を入れるべき」などと語っています。以下、インタビューの全訳を紹介します。(翻訳・「植村訴訟」東京支援チーム)
「金で日本の責任が消えるわけではない」「韓国政府、合意に対する国民の不信感解消すべき」「ローソクデモ、韓国民主主義の新たな歴史開いたと思う」
【ソウル=聯合ニュース】チョ・ジュンヒョン記者
日本社会に慰安婦問題を知らせるのに貢献した植村隆(58)元朝日新聞記者は「(日本政府が韓日合意に沿って)お金を払ったから、これで終わりだということではない」として、「日本の過去の責任が消えるわけではない」と述べた。
韓国カトリック大客員教授の植村元記者は、韓日慰安婦合意1周年(28日)を前に27日、聯合ニュースとのインタビューでこう述べ、「ハルモ二たちの被害体験は継承されていくべきだ」と強調した。
植村教授は「慰安婦合意は終わりではなく始まり」だとして、河野談話(1993年、河野洋平官房長官(当時)が発表した慰安婦関連の談話)の精神を生かして記憶の継承、歴史教育に力を入れるべきだ」と語った。
彼は「1年前の合意は突然になされ、被害者への意見聴取も行われなかった」としながら、「安倍首相の謝罪も日本の外相が共同発表で語った、いわば『伝言』だ」と指摘したが、自身は「合意を問題打開の契機ととらえるべきだと思ったし、その考えは今も変わらない」と明らかにした。
ただし、植村教授は「韓国政府が(このような合意に達した経緯について)きちんと説明責任を果たすべきだ」と指摘した。また、在韓国日本大使館の前に設置されている慰安婦少女像の周辺で韓国人学生らが座り込みをしていることについて、「(少女像問題解決のために韓国政府が努力するとの内容が含まれた)合意によって少女像が撤去されるのではないかという政府への不信感があると思う」として、「そのような韓国民の不信感を払拭することが、(韓国政府にとって)先決課題」だと指摘した。
また、元慰安婦の被害者への謝罪の手紙を送ることを「毛頭考えていない」という安倍首相の10月の国会での発言について、「(訳者引用:日韓合意の記者発表では「心からおわびと反省の気持ちを表明」しているのに)安倍首相が本心から謝罪する気はないのではないかと思われてしまうのではないか。とても残念だ」と述べた。
にもかかわらず、植村教授は慰安婦合意後、韓日政府間関係が「確かに改善されたと思う」と明かした後、両国関係が一歩進むためには、「信頼関係の構築、そして互いにリスペクトし合うことが重要」だと語った。そして、1998年の韓日パートナーシップ共同宣言(「日韓共同宣言」)を発表した金大中(1924~2009)元大統領と小渕恵三(1937~2000)元首相の相互信頼関係の深さについて紹介した。
植村教授は韓日関係の状況について、「いつまでも政治や外交のせいにしてはいけないだろう」として、「もう一度『日韓共同宣言』の精神に立ち返るべきだし、両国の市民は政治や外交に翻弄されることなく、隣国同士、互いの友情を深めていくべきだと思う」と語った。
彼は、韓日両国で講義する際、西ドイツのヴァイツゼッカー元大統領が1985年5月のドイツ敗戦40周年に際して行った演説を紹介するとしながら、「若い人たちは、たがいに敵対するのではなく、たがいに手を取り合って生きていくことを学んで欲しい」という演説の一部分を引用した。
民主化運動が高揚していた1987年、ソウルに留学していた植村教授は、最近のローソクデモについて、「その時(1987年)は、デモには催涙弾がつきものだったが、今回はそういうものもなく、人は多いが平和的なムード」だとして、「まるで解放区で祝祭をしているようだ」と表現した。
さらに続けて、「市民たちがローソクという『静かな光』で、心を一つにしたことが韓国の民主主義の新しい歴史を開いたと思う」と評した。
また、「現状を打破しようとする様々な考えの人々が、この平和的なローソク集会に参加しているが、このエネルギーが結集して斬新な次の政権づくりにつながるかどうかが今後の課題」だとして「今後、それをジャーナリストの目で見つめたい」と述べた。
植村教授は、「日本や韓国、そして、中国は引越しのできない隣同士の国だから、互いに和解と理解を深めることが必要だと思う」として、「来年もカトリック大で講義を続けるが、これからも、私の体験や考えを韓国の人々に伝え、日本と韓国の架け橋的な役割を果たしたい」と抱負を語った。
植村教授は朝日新聞記者時代の1991年8月11日、韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)が記録した慰安婦被害者、故金学順さん(当時67歳)の証言を最初に報道したことで、慰安婦問題が世に広まることに大きく貢献した。
しかし、安倍政権下ではばをきかせる日本国内の右派・歴史修正主義者らは植村の記事が韓日関係と日本のイメージを悪化させた「捏造記事」だとこじつけてバッシングした。
一部の極右は植村氏が教授に内定した日本の大学に圧力をかけて内定を取り消させ、娘を脅迫するまでに及んだが、植村教授は『真実 私は「捏造記者」ではない』と題する手記を出版し、法廷闘争を繰り広げるなど、真実のための闘いを続けている。