植村裁判を支える市民の会は、4月10日に札幌市の自治労ホールで開いた「裁判終結報告会」で最終メッセージを発表しました。「裁判終結報告会」では弁護団共同代表の伊藤誠一弁護士、原告の植村隆氏の報告がありました。また、報告にに先立ち、映画「標的」の上映があり、監督の西嶋真司氏の挨拶もありました。
■植村裁判を支える市民の会■最終メッセージ
社会の動きに、さらに目を凝らそう
植村裁判は敗訴が確定した。市民感覚からかけ離れた司法の姿を目の当たりにし、怒りを禁じ得ない。裁判所は私たちの社会に対し責任ある判断をしたのか、改めて問いたい。判決は「歴史的事実」に向き合わず、「真実相当性」に関する従来の判断基準を大幅に緩和した。これでは歴史修正主義を後押しし、無責任で「フェイク」な言論を野放しにしないか。安倍前首相が自身のフェイスブックに「植村記者と朝日新聞の捏造が事実として確定した」とデマを書き込むなど、既にその兆候が表れている。植村裁判をともに闘った市民として、歴史の歪曲につながる動きに、さらに目を凝らしたい。
日本軍「慰安婦」にされた韓国人女性の証言を報道したことで執拗な〝捏造〟バッシングを受け、名誉回復を司法に求めた朝日新聞元記者、植村隆氏の訴えに対し、最高裁は3月11日、麗澤大学客員教授、西岡力氏を被告にした東京訴訟で、またそれより先の昨年11月18日、自称ジャーナリスト、櫻井よしこ氏らを被告にした札幌訴訟で、植村氏側の上告をそれぞれ棄却した。
札幌、東京の両訴訟を通じて私たちが改めて確認したことは、植村氏の記事に櫻井、西岡両氏が指摘するような〝捏造〟は一切なかったことである。そのうえで明らかになったのは①櫻井、西岡両氏ともに〝捏造〟とした根拠を説明できなかったこと②むしろ両氏ともに資料そのものを誤読・曲解して引用したと認めたこと③両氏ともに報道・研究にあたって最も基本とされる、植村氏への本人取材をしていないこと――などが挙げられる。
にもかかわらず、裁判所は櫻井、西岡両氏の記述には「真実相当性」があるなどとして両氏の法的責任を「免責」し、植村氏の賠償請求を退けた。自らの非を一部認めた櫻井、西岡両氏の法廷証言をはじめ、植村氏側から提出した数々の証言・証拠を十分に吟味した形跡はなく、「思い込んだものは致し方ない」と言わんばかりの判断だったと受け取らざるを得ない
裁判所のこのような乱暴な判断の背景に、櫻井、西岡両氏らが推し進める、慰安所などの存在すら否定する歴史修正主義への同調が感じられる。植村氏の記事は日本軍慰安所で性暴力にさらされた女性の証言にもかかわらず、公娼制度下の「単なる慰安婦」の発言ではないかと問題をすり替えかねない表現すらあった(札幌高裁)。歴史の事実から目をそらそうと常々誘導する櫻井、西岡両氏らの口舌と、先の判示は同様レベルといえないか。
日本軍「慰安婦」をはじめとする戦時性暴力についての内外の実証的な歴史研究は、日本軍が侵略した地域で階級別など様々な慰安所を設置し、「慰安婦」の最前線への派遣、さらに作戦中の「強姦、略奪、放火」を含め、日本兵の〝性〟をめぐる組織的・構造的な特質を明らかにしている。今回の免責判決が、こうした歴史的知見を無視する歴史修正主義に加担すると指摘されるゆえんだ。昨今の日本学術会議問題などにうかがえる、科学者や専門知を軽視する政治のあり方とも通底している。
さらに問題なのは、言論において本来求められる取材・調査、資料チェックなどの徹底で保証される「真実相当性」のハードルを著しく引き下げたことである。事実に基づかない、恣意的な言論が「真実相当性」の名のもとに罷り通れば、情報を基盤にする民主主義の健全さは大きく損なわれるだろう。
植村裁判には札幌地・高裁、東京地・高裁、最高裁の2小法廷で、20人以上の裁判官が関与した。いずれもが同じ方向を示す判決に、政治や社会の思潮を往々にして忖度しがちな一端を垣間見る思いだ。司法の立ち位置は民主主義の成熟度を映し出す鏡でもある。植村裁判の結果は、歴史を直視し、反省を未来へと生かす力の弱さを私たちの社会に突きつけたともいえる。
植村裁判を支えてくれた全国の皆さんとともに、今後も歴史修正主義に毅然として対峙し、歴史の真実を社会に一層広く訴えていきたい
2021年4月10日 植村裁判を支える市民の会
共同代表
上田文雄(弁護士、前札幌市長)
小野有五(北海道大学名誉教授)
神沼公三郎(北海道大学名誉教授)
香山リカ(精神科医、立教大学教授)
北岡和義(ジャーナリスト)
崔善愛(ピアニスト)
本庄十喜(北海道教育大学准教授)