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東京訴訟 第2回口頭弁論
12月16日(月)午後3時30分開廷
東京高裁101号法廷
◆傍聴抽選が予想されます、早めにお越しください
裁判報告集会
同日 午後4時30分~6時
参議院議員会館101会議室
講演 江川紹子さん
「金学順さんへの取材テープ」の意味
入場無料
主催 植村訴訟東京支援チーム
共催 新聞労連、メディア総合研究所、日本ジャーナリスト会議(JCJ)
後援 日本マスコミ文化情報会議(MIC)
問い合わせ 日本ジャーナリスト会議 電話03-3291-6475(月水金の午後) 「金学順さんへの取材テープ」とは
update:2019.12.2 pm4:10
1991年11月に金学順さんが日本政府を相手取った賠償請求訴訟の準備としてソウルを訪れた日本の弁護団から初の聞き取り調査を受けた際に、植村さんが同行取材を許可されて金学順さんとのやり取りの一言一句を録音したテープです。金学順さんが実名で名乗り出た後、初めて日本からきた弁護団に自らの辛い体験を詳細に語った「肉声」です。この記録は植村訴訟だけでなく、慰安婦問題の発端を考えるための第一級の史料とも言えます。
この時の金学順さんの発言をまとめたのが、植村さんの記事B「手紙:女たちの太平洋戦争――かえらぬ青春 恨の半生/ウソは許せない 私が生き証人」(91年12月25日付け 大阪本社「語り合うページ」)なのです。
植村さんの記事は、前文でこう書いています。
「裁判の準備のため、弁護団と「日本の戦後責任をハッキリさせる会」は四度にわたり韓国を訪問した。弁護士らの元慰安婦からの聞き取り調査に同行し、金さんから詳しい話を聞いた。恨(ハン)の半生を語るその証言テープを再現する」
これに対して、「ねつ造」と攻撃する西岡力氏はこの記事Bについて、こう書いています。
「この十二月の記事でも、金学順さんの履歴のうち、事柄の本質に関するキーセンに売
られたという事実を意図的にカットしている」「都合が悪いので意図的に書かなかったとしか言いようがない」
西岡氏が言うように、植村記事は金学順さんの発言を「意図的にカットした」のでしょうか?
法廷に提出されたテープ(韓国語からの反訳)で、金学順さんは一度も「キーセン」という言葉を語っていません。植村さんは「本人が語っていなかったことは記事に書けません」と陳述しています。
私は記事Bのリードで、「証言テープを再現する」としています。金学順さんがテープの中で語ってないことを、書かないのは当たりまえのことです。本人が語っていないことを書かなかっただけで、「捏造」だと言えるはずがないではありませんか。(本人陳述書より)
この重要なテープがなぜ、今になって発見されたのでしょうか?
テープは植村記事B前文で紹介されている「日本の戦後責任をハッキリさせる会」の臼杵敬子代表の和歌山県の自宅で8月に見つかりました。臼杵代表はジャーナリストで、91年11月の弁護団の聞き取りで通訳を務めました。
西岡氏が92年春に月刊『文藝春秋』で最初に植村「ねつ造」攻撃の論文を書いた後、朝日新聞大阪本社は社会部員だった植村さんに対して社内調査を行いました。植村さんは当時は手元に保管していた録音テープをダビングして臼杵さんに送り、自らの記事が金学順さんの発言を正確に反映していることを確認してもらったのです。その時、臼杵さんに送ったテープが今回、見つかったのです。
朝日新聞社のこの時の社内文書「調査報告」は、次のように述べています。
「この記事について西岡氏は、『韓国では(金さんは)キーセンに売られていったと報道されている。植村記者は、それを書いていない』と指摘していますが、金さんは、この聞き取りの時には、この点は話していません。」
当時から、植村さんはもちろん、朝日新聞社も、西岡氏の『文藝春秋』での主張が事実に基づかない「言いがかり」にすぎない、と確認していました。
一審の判決は、朝日新聞社と植村さんが西岡氏に対して反論や説明をしなかったことを非難して、西岡氏が「ねつ造記事」と思い込んでも「もっともである」=相当性があるとして免責しました。
ところが、西岡氏は臼杵さんの書いた記事を歪曲して引用して「ねつ造」攻撃の論拠にしながら、臼杵さん本人には一度も取材せず、臼杵さんが保管していた金学順さんの肉声テープを聞くこともなく、「意図的にカットした」と決めつけているのです。