2016年9月29日木曜日

「真実」の反響つづく

【続報その2】植村隆さんの手記韓国語翻訳版『真実 私は捏造記者ではない』の刊行について、韓国の大手サイト「NAVER」で確認した限りでは、11社が報道しています。そのうち、「朝鮮日報」と「ハンギョレ」は日本語版でも伝えています。
以下は「朝鮮日報」と「ハンギョレ」の日本語版記事です。

■朝鮮日報  <記事URLはこちら
 元朝日新聞記者・植村隆氏、日本の慰安婦報道を懸念
「私の名誉毀損(きそん)の問題ではない。慰安婦のおばあさんたちの名誉の問題だ」

朝日新聞の記者だった植村隆氏(58)は「慰安婦問題を否定する日本の歴史修正主義勢力の執拗(しつよう)な攻撃や言いがかりにより、日本でも言論の自由に圧力を感じ、慰安婦問題を積極的に報道しないなどの雰囲気が広がっている」と懸念した。これは、植村氏が26日、『真実 私は「捏造(ねつぞう)記者」ではない』韓国語版の出版懇談会で語った言葉だ。同氏は今年3月から韓国カトリック大学に客員教授として在職している。
植村氏は1991年に元従軍慰安婦として初めて公に証言した故・金学順(キム・ハクスン)さんの記事を韓国メディアより先に報道した。同氏は2014年に朝日新聞を退職、北星学園大学の非常勤講師になった(※注)。しかし、日本の極右勢力は「慰安婦問題を捏造し、日本の名誉を失墜させた捏造記者」と執拗に攻撃、大学側に解雇を要求するなどの圧力を加えただけでなく、「娘を殺害する」と脅迫までした。<※注 北星非常勤講師は朝日在職中の2012年からつとめていた>
植村氏は昨年、自身を「捏造記者」と非難した週刊誌「週刊文春」などを相手取り、名誉毀損に当たるとして訴訟を起こした。日本の人権弁護士約270人が同氏のために弁護人団を構成した。同氏は「先日、韓国映画『弁護人』を見た。多くの弁護士が弁護に立つ最後のシーンは、私が直面している状況と少し似ていると思った。とても感動的で、つらいことがあるたびに何度も見てしまう」と述べた。植村氏はこの日の懇談会で、日本語のイントネーションが少し残っているとは言え流ちょうな韓国語で質問に答えた。朝日新聞在職時の1987年にソウルで語学研修をして韓国語を学び、96-99年にはソウル特派員を務めた。
昨年12月の韓日政府慰安婦問題合意について、植村氏は「日本政府は『お金だけ払えばすべて終わりだ』と考えるのではなく、『歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい』と明言した93年の河野談話の精神を継承するという意志を示すことが重要だ。慰安婦問題は終わりではなく、たった今始まったばかりだ」と言った。自身の今後については「韓日の若者に慰安婦問題などを教えながら、韓日友好関係を形成する架け橋のような役割をしたい」と語った。
金性鉉(キム・ソンヒョン)記者


■ハンギョレ  <記事URLはこちら
「右翼に対する反論と闘争の記録」の韓国語版を出版
「私を捏造記者と攻撃する彼らが捏造だ」
「娘を殺すという脅迫に最も憤りを覚えた」裁判所が賠償命令

25年前の1991年8月、日本軍慰安婦被害者ハルモニ(おばあさん)の金学順(キムハクスン)さんの証言を実名で報道し、この問題を初めて公論化し、国際的な問題として登場させた植村隆元「朝日新聞」記者(58・写真)が、韓国で著書を出した。26日、ソウル鍾路(チョンノ)区紫霞門路の青い歴史アカデミーで開かれた韓国語版『私は捏造記者ではない』(キル・ユンヒョン訳、青い歴史出版・原題『真実、私は「捏造記者」ではない』)の出版記念記者懇談会で彼はこのように語った。
「私は捏造していない。西岡力氏などの主張は、歴史修正主義勢力の言いがかりに過ぎない。 しかし、それがインターネット上で広がって私に対する憎悪が拡散された。これに対する闘争として、西岡氏らを対する名誉毀損訴訟を進めている」
今年3月からカトリック大学の招聘教授として来韓している彼は、金学順さんの後に続いた日本軍慰安婦被害者ハルモニたちの実名証言という「歴史的事件」の「序章」となる記事を書いたという自負心を堂々と披瀝した。
植村教授は自分の著書を「植村攻撃の記録とそれに対する反証など闘争の記録」であると共に、「これまで私と韓国との関わりを綴った自叙伝」でもあると強調した。
25年前の記事が原因で、日本国内の右翼から攻撃を受けてきた植村教授は特に、ここ2年半の間、「厳しい試練」を経験した。2014年1月末、日本の大手週刊誌「週刊文春」が慰安婦問題を否定する勢力のイデオローグとして活動してきた西岡力・東京基督教大学教授の発言を引用し、大学教授の採用が確定していた植村さんの(慰安婦関連)記事に「捏造記事」というレッテルを貼ると共に、「誤った記事で、韓日関係だけでなく、日本の国際的イメージを悪化させた責任は重大だ」として、「朝日新聞」まで攻撃したからだ。「週刊文春」が「『慰安婦捏造』朝日新聞記者がお嬢様女子大の教授に」という題名の悪意的な記事を掲載してから、「植村を(神戸松蔭女子学院大学から)追い出す」ことを求める抗議メールや「殺害」まで公言する右翼勢力の威嚇と脅迫が殺到した。そのために、彼は、朝日新聞社を退社してから、公開採用過程を経て、2014年4月から赴任すること条件に雇用契約書まで書いたにもかかわらず、神戸松蔭女子学院大学の敷地を踏む前に「退出」された。
19歳の彼の娘は当時、インターネット上で「こいつの父親のせいで、どれだけ日本人が苦労したことか。自殺するまで追い込むしかない」との暴言と共に、「必ず殺す 何年かかっても殺す。 どこへ逃げても、殺す。 絶対に殺す」という度重なる「殺害予告」まで受け、恐怖におののかなければならなかった。懇談会で植村教授は「これに最も憤りを覚える」としながら、「娘の問題で本当につらかった」と打ち明けた。
彼は自分の記事を捏造だと主張する「彼ら」が、(自分を)攻撃する理由は「極めて簡単だ」と話した。25年前のあの記事が、日本軍慰安婦を「挺身隊」の名前で連れて行ったとしたことや強制連行だったと言及したこと、金学順さんが妓生として働いた経歴を取り上げなかったというのが、すべてだ。
植村教授は、当時の記事で「『女子挺身隊』という名前で戦場に連行され、日本軍人を相手に売春行為を強要された」という表現を使った。当時、韓国と日本では一般的に「女子挺身隊」という言葉が「慰安婦」という意味で使われており、(この問題を初めて提起した「韓国挺身隊問題対策協議会」の名称がそうであるように)、日本の学界やマスコミでも「挺身隊」をそのような文脈で使用していたと、植村教授は指摘する。
強制連行についても、彼は「強制連行」という表現を使ったことはなく、むしろ当時、強制連行という表現を使ったのは、「産経新聞」だった事実を明らかにした。14歳で妓生見番に売られ、3年間にわたり妓生になるための教育を受けている間に拉致されたことを金さんが打ち明けなかった事実を書いていないのが何の問題であり、さらに、たとえ妓生だとしても、それが慰安婦問題と直接的な相関関係があるのかと、彼は反論した。
「あまりにも些細なことを口実に本質を歪曲するのが彼らの手法の一つ」として、彼は「彼らが付けた捏造というレッテルこそ捏造」だと指摘した。「私が捏造記者であるなら、なぜニューヨーク・タイムズ紙が私の問題を大きく報道し、国連の『表現の自由担当者』が私にインタビューし、ハンギョレと東亜日報が記事化し、カトリック大学が私を教授として招聘したのだろうか」と反問した。「彼は『彼ら』が私を攻撃するのは、私個人を殺すためではない」と話した。「自由言論を圧迫し、(従軍慰安婦問題など歴史問題について)沈黙させることが本当の目的だ。そのような点で、彼らはある程度成功を収めている。『朝日』さえもそのような問題を以前のように大きく取り上げない。記者たちも以前に比べて、それらの問題に対する関心が薄れた。また、そのような記事を書くと植村のようになると思って萎縮している」。
彼は、それでも、「日本で多くの市民や弁護士、学者、ジャーナリストたちが『植村攻撃』は言論の自由に対する弾圧として、応援して」おり、韓国でも支援活動が行われ、招聘教授として呼んでくれるなど、右翼の攻撃に対する抗議と反撃が広がっているとし、「状況が好転している」と話した。 
西岡力氏と「週刊文春」、そして彼の記事を「捏造」と主張し続けてきた著名なジャーナリストの桜井よしこ氏に対して提起した名誉毀損訴訟は、1年半ないし2年後に最終結論が出る見込みだが、いい結果が期待されている。今年8月初めには、(娘の顔写真をさらして誹謗中傷した)中年男性に、裁判所が「未成年者に対する悪質な人格攻撃」として、原告側の請求通り170万円(約1800万ウォン)の支払いを命じる判決を下した。依然として韓国とは雰囲気がずいぶん異なるが、日本でも状況は変わっていると彼は話した。
「過去の過ちから逃げずに、歴史の教訓として長い間記憶することで、同じ間違いを繰り返してはならないという『河野談話』の精神を継承すること、それが最も重要である」として、植村教授は、裁判の勝利を信じると話した。
「これからも私は日本と韓国の若い世代が真の友好関係を結ぶことができるように、架け橋の役割を果たしたい。ジャーナリストとして『慰安婦問題』も一層積極的に対処していくつもりだ」
ハン・スンドン先任記者 

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