記録サイト「植村裁判資料室」は、内容とデザインを全面更新し、下記に移転しました。
2021年10月1日
植村隆氏のたたかいの日々に密着したドキュメンタリー映画「標的」(西嶋真司監督、ドキュメントアジア制作)が、今年度のJCJ賞を受賞しました。JCJ賞は日本ジャーナリスト会議(JCJ)が1954年から毎年、優れたジャーナリズム作品・活動に贈っている賞です。今年度は8月31日の選考会議で「標的」ほか計6点が選ばれました。贈賞式は9月25日(土)13時から東京・水道橋の全水道会館で開催されます。
「標的」の制作にあたっては、支える会も取材協力、資金カンパ、宣伝などの面で、全面支援をしてきました。西嶋監督ほかスタッフの皆さん、”主演”の植村氏とともに、受賞の喜びを分かち合いたいと思います。
「捏造」批判は許されるのか?
ドキュメンタリー映画「標的」支援プロジェクト - 日本ジャーナリスト会議賞を受賞
ドキュメンタリー映画「標的」が今年度の「日本ジャーナリスト会議賞」を受賞しました。「日本ジャーナリスト会議賞」は優れたジャーナリズム活動に対して毎年贈られるもので、今年で64回目を迎えます。クラウドファンディングを通じて多大なご支援をいただいた皆さまに、受賞の報告と共にあらためてお礼を申し上げます。
今回受賞した6つの報道は、いずれも、闇に閉ざされたこの国の一面を鋭く追求したものばかりです。映画「標的」は捏造バッシングに怯まなかった元新聞記者と、日本のジャーナリズムを守るために立ち上がった市民や弁護士、メディア関係者の行動を追った内容です。不都合な報道に対して圧力をかけようとする国家権力に堂々と立ち向かった人々の勇気が評価され、今回の受賞に繋がったものだと思います。
映画は劇場公開に向けた準備が進んでいます。9月中旬には「標的」のホームページが開設されます。是非ご覧ください。
2021.9.8 updated 映画「標的」公式サイトが公開されました。最新情報、予告編、メッセージ、自主上映案内などを収録。英語、韓国語表記もあります。 公式サイト
2021年JCJ賞受賞作一覧 (JCJ発表資料による)
【JCJ大賞】2点(順不同)
● キャンペーン連載『五色のメビウス ともにはたらき ともにいきる』 (信濃毎日新聞社)
農業からサービス産業、製造業まで、「低賃金」の外国人労働者の存在なくして明日はない、日本の産業界。新型コロナ禍によって、その現実が改めて浮き彫りにされた。「使い捨て」にされ、非人間的な扱いをされている彼らの危機的な実態に迫ったのが、本企画である。「命の分岐点に立つ」外国人労働者の迫真ルポ、送り出し国の機関から日本の入管、雇用先、自治体など関連組織への徹底取材。半年にも及ぶ連載は、日本ではとかく軽視されがちな外国人労働者問題の深刻さを、私たち1人1人が真剣に考えていくための新たな視座を提供してくれる。
● 平野雄吾『ルポ入管―絶望の外国人収容施設』 ちくま新書
外国人を人間扱いしない入国管理制度の現場の実態を生々しく伝えるとともに、憲法や国際的な常識を逸脱した各種の判決を含め、入管制度が抱える法的な問題点をも明らかにしたルポである。日本の政治と人権をめぐる状況の象徴のひとつといえる入管制度であるが、入管制度の法改悪はいったん頓挫した。それはスリランカ人女性の死という犠牲があったうえのことだ。出入国在留管理庁という機関が誕生したいま、今後も改悪の動きは出てくることが予想される。そのためにも多くの人に読んでほしい1冊であり、グローバルな視点を持ったルポとして賞にふさわしい。
【JCJ賞】3点(順不同)
● 菅義偉首相 学術会議人事介入スクープとキャンペーン (しんぶん赤旗)
2020年10月1日付1面トップで、就任したばかりの菅義偉首相が、日本学術会議から推薦を受けた次期会員候補数人を任命拒否した問題をスクープした。同日付の赤旗電子版で、任命拒否された6氏の氏名を報じ、続くキャンペーン報道で、学問の自由への不当介入を厳しく批判し、任命拒否の6氏は安倍内閣の安保法制、共謀罪の反対者であると明らかにした。当事者だけでなく幅広い研究者団体の声を紹介。1983年に学術会議法を改定した際の政府文書で、首相の任命は形式的と明記していたことを報じ、任命拒否の不法性を告発した。昨年の「桜を見る会」(赤旗日曜版)問題に続く、権力者トップの違法行為を暴いた傑出したスクープといえる。メディア各社が後追いし、国会の追及に菅首相は答弁不能に陥る事態となった。
● ETV特集「原発事故“最悪のシナリオ”~そのとき誰が命を懸けるのか~」(NHK)
2011年3月、東日本大震災で東京電力福島原発爆発事故が発生した。番組は当時、この事故による「最悪のシナリオ」が首相官邸・自衛隊・米軍でそれぞれ作られていたことを明らかにする。菅直人首相、北沢俊美防衛相ら100名以上の関係者に取材した証言を積み重ね、事態が「最悪のシナリオ」寸前の危機にあったことを浮かび上がらせる。番組は、東京電力の無責任・不誠実な対応を暴き出す。自衛隊幹部は、東電の勝俣恒久会長(当時)から「(爆発した)原子炉の管理を自衛隊に任せたい」と依頼された事実を証言するが、勝俣氏をはじめ東電幹部は誰一人、インタビュー要請に応じない。原発再稼働を画策する人たちは、この番組を見て思考停止を解き、もう一度考える必要がある。
● 映画「標的」(監督・西嶋真司 製作・ドキュメントアジア)
元朝日新聞記者の植村隆は1991年8月、「元慰安婦 重い口を開く」と記事を書いた。約四半世紀後の2014年、櫻井よしこらによる植村へのバッシング攻撃が突然始まった。映画「標的」は植村に対する卑劣かつ凶暴な攻撃の実態と、植村の訴えに背を向け、不当判決を繰り返す司法の不当な姿を映し出す。歴史修正主義の逆流を剝き出しにした攻撃と闘う植村に、一筋の光となる記事が見つかった。「週刊時事」(92年7月18日号)に櫻井寄稿の原稿が掲載されている。その中で櫻井は「売春という行為を戦時下の政策の一つとして、戦地にまで組織的に女性たちを連れて行った日本政府の姿勢は言語道断」と書いている。植村の記事と同じ内容だ。植村は、朝日新聞阪神支局で赤報隊の銃弾に斃れた(1987年5月)小尻記者の墓に足を運び、手を合わせた。小尻とは同期入社の仲だ。「バッシングは許せないと、多くの人が支援してくれる。私には喜びであり、感謝しかない」と植村。ジャーナリズムは植村を孤立させてはならない。
【JCJ特別賞】1点
● 俵義文 日本の教科書と教育を守り続けた活動
子供たちを再び戦争に送り込む教育は断じて許せない。その信念のもとに俵義文氏は「子どもと教科書全国ネット21」の事務局長(のち代表委員)として政府の教科書検定や教育基本法の改悪などと闘い、「新しい歴史教科書をつくる会」や「日本会議」による教科書採用圧力などの攻撃に対して粘り強く運動を展開し反撃してきた。活動の集大成として昨年末に『戦後教科書運動史』(平凡社新書)を出版し、多様な教科書攻撃の実態とその害毒の深刻さ、社会的反撃などを克明に記録し、的確な分析を加えた。しかし本年6月7日、惜しまれながらその80年の生涯を終えた。文字通り人生を捧げて日本の教科書と教育を守り続けた活動の意義は大きく、故人とその業績に対してJCJ特別賞を送る。
慰安婦の記憶と記録を消し去ろうとする勢力に対抗するために
1991年8月に韓国で初めて元慰安婦婦の金学順(キムハクスン)さんが名乗り出てから30年がたつ。金学順さんの証言は、慰安婦の被害の実態を明らかにし、日本と韓国の社会を大きく揺さぶった。金学順さんの名乗り出を初めて報じた植村隆記者は、その23年後に右派言論人らから捏造記者の烙印を押され、激しいバッシングを浴びた。そして30年後のいま、歴史の記憶を消し去ろうとする勢力がまた息を吹き返そうとしている。敗訴判決が確定して終結した植村裁判は、慰安婦問題の現状を映し出す鏡のように思える。
「金学順さんカミングアウトから30年・記念イベント」は、そのような状況の中、8月7日、東京で開かれた(日比谷の日本プレスセンター大ホールで、午後1時~4時30分)。イベントは植村裁判の最終報告会を兼ね、2部構成で行われた。8月に入ってから東京ではコロナ感染が急拡大していたため、前日に予定を変更し、会場は関係者の感染対策を徹底した上で無観客とし、一般参加予定者にはZOOMでライブ配信をした。また、3人の発言者(東京、札幌、福岡)もZOOMでの参加に切り替えた。ライブ配信は初めての試みだったが、トラブルもなくスムースに行われた。=まとめ文責・HN
第1部では、映画「標的」の短縮版(25分)がリモート配信上映され、続いて、札幌訴訟と東京訴訟の各弁護団事務局長が、判決の問題点と裁判の成果を含む結果について報告をした。両弁護士の報告の締めくくり発言は次の通り(両氏ともリモート発言)。
■小野寺信勝弁護士(札幌訴訟弁護団)
▽札幌の裁判では、櫻井氏が慰安婦の取材をしていないこと、また植村さんへの取材の申し込みすらしていないことが明らかになった。櫻井氏には資料の誤読や曲解もあった。しかし、裁判所は「真実相当性」を認めて免責した。これまで、最高裁や多くの下級審の判例では、「真実相当性」を認めるには、確実な資料があることや取材を尽くすことが要求されている。この裁判は、従来の法的枠組みでは櫻井氏の真実相当性が認められる余地がない事案である、と今でも思っている。地裁、高裁、最高裁とも免責のハードルを著しく下げたことには、法的な理屈だけでは説明できない点があるのではないか。
▽弁護団には100人以上の弁護士が参加した。政治的な立ち位置の違う人もいるが、5年間減ることはなかった。これは稀有なことだと思う。支える会などたくさんの市民の方々の支えも大きかった。とくに、櫻井氏の過去の著作や発言を調べ尽くし、法廷での主張に結びつけることができた。
▽この裁判は、歴史を書き換えようという流れ、異論に対してバッシングを加える流れ、そのような世の中の空気に抗うたたかいだった。裁判には負けたが、ふたたび同じようなことが起きたら対峙できる、と私たちは確信している。
■神原元弁護士(東京訴訟弁護団)
▽人権を侵害されても、不当だと訴えたり、立ち上がることができない人がたくさんいる。しかし植村さんは裁判を起こし、記者会見で自分の顔と名前を出して、私は捏造記者ではない、と訴えた。2015年提訴の時点で、植村さんへの重大な権利侵害のかなり大きな部分は止まった、止めることができた。裁判を起こした時点で裁判の成果の半分くらいは果たしたのでないか、と思う。
▽裁判の局地的な成果ではあるが、「キーセンの経歴を隠した」「義母の裁判のために書いた」という点は、きっちりと否定できた。判決でもこの点の「真実性」は否定された。金学順さんを直接取材したハンギョレ新聞、東亜日報の記者と北海道新聞の喜多さんの重要な証言を証拠として提出し、裁判記録として残すことができた。金学順さんの1991年11月の証言テープも証拠、記録として残すことができた。西岡氏は著作の中でハンギョレ新聞の記事を捏造し引用していた。裁判でそのことを明らかにし、反対尋問で本人に認めさせた。
▽しかし、裁判では負けた。負けたことは認めるが、このような記録と成果はなにがしかの形で残して次の世代に伝え、次のたたかいにバトンを移したい。
第2部では、金学順さんや元慰安婦の取材を続けてきた記者と、植村裁判にかかわってきた記者が、取材の経過を振り返り、エピソードを交えながら、慰安婦問題の現状について意見を交わした。
発言者は、植村隆、小田川興、喜多義憲、西嶋真司、明珍美紀、池田恵理子の6氏。小田川、喜多、明珍の3氏は、植村裁判関連での集会で発言するのは初めて。西嶋氏はリモートで発言した。
以下は、第2部の6人のしめくくり発言の要約(発言順)。
■西嶋真司 (映画「標的」監督、元RKB毎日放送ソウル支局長)
▽慰安婦問題はテレビ業界ではタブー中のタブーだ。じつはこの映画「標的」は、テレビのドキュメンタリー番組として放送したかったが、会社に何度かけ合っても実現せず、それなら自分たちでやるしかないな、と独立して作ることになった。
▽1991年当時、金学順さんや慰安婦の方たちを取材した記者たちは、被害者の人間としての尊厳をとても大事にしていた。しかし今の日本では、戦後補償金をもらうためにやっているんじゃないか、日本には都合の悪い人なんじゃないか、という空気が広まっているような気がする。慰安婦の問題は日本の権力によって誤った認識を埋め込まれ、誤った方向に向かっているのではないか。慰安婦問題は人間の尊厳の問題なのだという原点に立ち返って考えるべきだし、メディアももっともっと関心を持たなければならない、と皆さんの話を聞いてあらためて思った。
■明珍美紀 (毎日新聞社会部記者)
▽1週間後の8月14日は金学順さんの名乗り出のメモリアルデーだ。ことしはZOOMでの集まりになるが、30年前、金学順さんが勇気を振りしぼって名乗り出たことに尊敬の念を抱くとともに、いま#MeToo運動などでも訴えていることだが、どんな人間にも尊厳があり、それは守られるべきだということを肝に銘じたい。
▽LGBTの問題もある、そしてコロナウイルス禍の下で女性の自殺が増えている、それはなぜなのか。もちろん男性も苦しい目にあっているが、この社会の構造が30年前、あるいは半世紀前と変わっているのか、改善されているのか、後退しているのか、考えていかなければならない。30年前の金学順さんの、あの振りしぼるような声、そして涙、それをムダにしないようにしていきたいと思う。
■喜多義憲 (植村裁判証人、元北海道新聞ソウル支局長)
▽91年当時、韓国には日本の新聞、テレビが10数社駐在していたが、植村さんや私の記事に異議や異論をはさむ記者はひとりもいなかった。ところが植村バッシングが始まると、慰安婦問題に関心を持っていなかった記者たちが尻馬に乗って、植村批判や朝日批判を雑誌に書き始めた。若い記者たちに言いたいことだが、自分たちの主人は会社ではなく、読者であり市民であり国民である、ということを忘れないでほしい。
▽植村裁判でなぜ証言台に立ったかというと、自分に同じような問題がふりかかったらどうするかと考えたからだ。私にもバッシングがくるのではないか、と思うとこわかった。しかし、会社が右であれ左であれ、記者個人としてはきちんとした歴史観を持っていれば、当然あのような行動になる。それが記者、ジャーナリストの共通分母ではないか。
▽裁判では、キーセンであったとかなかったとか、挺身隊の呼称が慰安婦のことをいうのかどうなのか、が中心になったが、それは慰安婦問題の本質ではない。慰安婦と言われる人たちがどういう状態にあったのかということをジャーナリズムはどう書いたのか、植村が、喜多が、明珍がどう書いたのか、が問われなければならない。歴史修正主義者たちが得意なのは、細部について立証できないような難しい問題についてあげつらい、捏造だというような結論だけを喧伝する。それについてくる人も多い。だから、裁判の成果はあったし批判をするわけではないが、同じ土俵には乗らない、別のやり方を研究する必要があったのではないかとも思う。
※喜多氏の発言のレジュメ PDF
■小田川 興 (元朝日新聞ソウル支局長)
▽戦後補償問題の運動は「怒りの連帯」のネットワークであり、私もずっと共感しているが、いま、その問題では滔々たる巻き返し、逆流がある。最近もラムザイヤーというハーバード大の教授が証拠も挙げずに、慰安婦は儲かる仕事をしていたみたいなムチャクチャな論文を書いて、国際的な批判にさらされている。こういう外圧で真実を押しつぶすという流れは他にもあり、ますます厳しい状況になっている。
▽今年は、植民地被害に対する非難と再発防止を確認したダーバン宣言から20年だ。戦後補償問題を放置することを植民地犯罪として追及する事例が相次いでいる。じっさいナチスドイツによる占領虐殺にポーランドやギリシャから賠償請求が起こされている。まさにそういう渦中にあって植村裁判は行われた。この裁判の真実相当性というもののフェイクぶりをもっと鋭くみていきたいと思っているし、世界の政治の流れがおかしな方向に向かっていくことを食い止めるメディアの役割も重要になってくる。
▽怒りの連帯の根本には、この慰安婦問題についていえば、ハルモニのこころ、そしてハルモニが発してきた言葉がある。私はそこに学びたいと思う。姜徳景(カンドッキョン)さんというハルモニは昭和天皇処刑の絵(「責任者を処罰せよ」)を描いているが、戦争は若者の犠牲を求め、女性とこどもと老人のすべてが被害者になる、という言葉を残している。戦争は絶対にダメなんだ。ハルモニたちのこころ、そして言葉を胸に刻んでこれからも進みたい、進まなければいけない、と思っている。
※小田川氏の発言のレジュメ PDF
■池田恵理子 (wam女たちの戦争と平和資料館名誉館長、元NHKディレクター)
▽金学順さん、姜徳景さん、裵奉奇(ぺポンギ)さんという3人の慰安婦の方と出会ったことによって私の人生の後半生が定まってきたことを、今になってあらためて思う。私は日本人としてあの戦争の加害を問われている。戦争責任を問う声を受け止め、それを実現するには日本の政治主体が改革されなければならないが、それができていない以上、私たちの責任もあると痛感している。
▽いまはwam(女たちの戦争と平和資料館)という小さな資料館をやりながら、被害者の声を資料としてきちんと保存し、伝えている。wamでは毎年8月14日に、金学順さんの思いをつなぐという意味で、この1年間に亡くなられたアジアの被害女性たちの名前を読み上げ、エントランスに飾っている顔写真に白い花を添えるセレモニーを続けている。
▽最近のNHKの劣化、ひどさは言葉で言い尽くせないほどだ。私はNHKを退職した仲間たちと申し入れをしたり、放送センターの前でチラシを配り、現役の社員に声をかけたりしている。こういう行動でも、被害女性たちが力になっていると思う。
▽ソウルの水曜デモは千数百回を超え、ギネスブックを更新中だ。私たちも毎月第3水曜日に新宿西口で首都圏の諸団体が集まって水曜行動をしている。私はこのプラカードを首から吊るしてスピーチをしたりチラシ配りをしている。このプラカードには「金学順さんの名乗り出から四半世紀」とあるが、四半世紀は30年と書き替えなければならない。30年も経ったのに、と忸怩たる思いだが行動を続けていく。
※池田氏発言のレジュメ PDF ※「週刊金曜日」投稿記事 PDF
■植村 隆 (植村裁判原告、元朝日新聞記者)
▽金学順さんは名乗り出た後の1991年11月に弁護団の聞き取りでこう言っている。「いくらおカネをももらっても捨てられたこの身体、取り返しがつきません。日本政府は歴史的な事実を認めて謝罪すべきです。若い人がこの問題をわかるようにしてほしい。たくさんの犠牲者が出ています。碑を建ててもらいたい」。日本政府の謝罪、若い世代への記憶の継承、そして碑の建立、いまだにどれも実現していない。慰安婦の被害者の女性に納得できるような謝罪はない、若い世代へ記憶を継承しようとするとさまざまな妨害が起きる、そして碑は日本本土にはほとんどないと思う。つまり、この30年間はいったい何だったのか。振り出しに戻っているよりももっと状況は悪くなっていると思う。その中で一体何ができるのか、考えている。
▽私は金学順さんが亡くなられた時、ソウルの特派員をしていて、死去の記事を書いた。その記事は非常にあっさりとしたものだった。当時、私の結婚のことで批判があったり、また当時は慰安婦報道がたくさんあったので、私自身は少し身を引いているところがあった。しかしいまはそのことをすごく反省している。やはりこの問題は私の人生をかけて取り組むべきことだと思っている。
▽金学順さんの言っている3つのことがいまだ実現していない。本当におかしい世の中になっている。言論人としてきちんと取り組んで、願いを実現していくこと、そして若い世代への継承もやらなければならない。30年経って状況が悪くなっていることに憤りを感じるが、裁判とは別のたたかい方もある。過去をきちんと記憶して2度と起きないようにしなければならない。それは、慰安婦問題だけでなく、さまざまな問題に続いている。原点には慰安婦問題がある。これからもたたかい続けなければならないと思う。
緊急のお知らせ
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コロナの感染状況が深刻になっているため、
会場開催をオンラインのみの開催に変更します!
《金学順さんのカミングアウトから30年》
記念オンライン・イベント
慰安婦記事「捏造ではない」:植村訴訟最終報告会
日時:8月7日(土曜日)午後1時~午後4時
オンライン参加★Zoomのウェビナー機能を使用
下記のリンクをクリックして参加してください。
https://us02web.zoom.us/j/87665224935
◇ ◇ ◇
第一部 ドキュメンタリー映画『標的』(短縮版:25分間)上映会と裁判報告
〈1991年夏、ソウルで「慰安婦」被害者が証言を始めたことを初めて伝えた朝日新聞記者・植村隆。それから23年後、突如として「捏造記事を書いた」という激しいバッシングの嵐に巻き込まれる。内定した大学教授職の取り消し、執拗な嫌がらせ、家族への殺害予告――。なぜ記者は「標的」とされたのか。言論と法廷の双方で闘おうとする彼のもとに、弁護士や市民、ジャーナリストたちが次々に集まり、新しい連帯が生まれる。〉
『標的』上映の後、東京訴訟、札幌訴訟の各弁護団事務局長からの報告があります
第二部 1991年8月:金学順さんが名乗り出た時…記者たちの証言
今年8月14日は、金学順さんが「慰安婦」だったと名乗り出て30年になります。なぜ長年の沈黙を破り、自身のつらい経験を語る決心をしたのでしょうか。
「セクハラ」という言葉が日本に紹介されたばかり。#MeToo運動もなかった時代。金さんの「私の青春を返してほしい」という一言が、日本軍による「慰安婦」の被害を世界に知らしめました。日本政府の謝罪を引き出し、「戦時の性暴力は犯罪である」という国際原則の確立へとつながったのです。ソウルで名乗り出た金さんを、いち早く記事にしたのは日本の記者たちでした。金さんが伝えようとした思いを、当時実際に取材した人たちが語ります。
「慰安婦」問題を、なかったことにするかのような言説がはびこり、日本のメディアが取材に尻込みする姿勢が強まっている今だからこそ、30年前の取材者の言葉に耳を傾けていただけませんか。
〜午後2時半ごろからを予定しています〜
池田恵理子:元NHKディレクター
植村 隆:元朝日新聞記者
小田川興:元朝日新聞ソウル支局長
喜多義憲:元北海道新聞ソウル支局長
西嶋真司:元RKB毎日放送ソウル支局長
明珍美紀:毎日新聞記者
《金学順さんのカミングアウトから30年》記念イベント
慰安婦記事「捏造ではない」:植村訴訟最終報告会
日時:8月7日(土曜日)午後1時~午後4時 *開場は12時半から
場所:日本プレスセンター10階ホール(東京・千代田区内幸町2‐2‐1)
定員:先着50人まで
入場料:無料 *会場ではコロナ対策措置へのご協力をお願いします
オンラインでの参加も可能です(Zoomのウェビナー機能を使います)。
下記のリンクをクリックして参加してください。
https://us02web.zoom.us/j/87665224935
◇ ◇ ◇
第一部 ドキュメンタリー映画『標的』(短縮版:25分間)上映会と裁判報告
〈1991年夏、ソウルで「慰安婦」被害者が証言を始めたことを初めて伝えた朝日新聞記者・植村隆。それから23年後、突如として「捏造記事を書いた」という激しいバッシングの嵐に巻き込まれる。内定した大学教授職の取り消し、執拗な嫌がらせ、家族への殺害予告――。なぜ記者は「標的」とされたのか。言論と法廷の双方で闘おうとする彼のもとに、弁護士や市民、ジャーナリストたちが次々に集まり、新しい連帯が生まれる。〉
『標的』上映の後、東京訴訟、札幌訴訟の各弁護団事務局長からの報告があります
第二部 1991年8月:金学順さんが名乗り出た時…記者たちの証言
今年8月14日は、金学順さんが「慰安婦」だったと名乗り出て30年になります。なぜ長年の沈黙を破り、自身のつらい経験を語る決心をしたのでしょうか。
「セクハラ」という言葉が日本に紹介されたばかり。#MeToo運動もなかった時代。金さんの「私の青春を返してほしい」という一言が、日本軍による「慰安婦」の被害を世界に知らしめました。日本政府の謝罪を引き出し、「戦時の性暴力は犯罪である」という国際原則の確立へとつながったのです。ソウルで名乗り出た金さんを、いち早く記事にしたのは日本の記者たちでした。金さんが伝えようとした思いを、当時実際に取材した人たちが語ります。
「慰安婦」問題を、なかったことにするかのような言説がはびこり、日本のメディアが取材に尻込みする姿勢が強まっている今だからこそ、30年前の取材者の言葉に耳を傾けていただけませんか。
〜午後2時半ごろからを予定しています〜
池田恵理子:元NHKディレクター
植村 隆:元朝日新聞記者
小田川興:元朝日新聞ソウル支局長
喜多義憲:元北海道新聞ソウル支局長
西嶋真司:元RKB毎日放送ソウル支局長
明珍美紀:毎日新聞記者
◇ ◇ ◇
主催=植村訴訟東京支援チーム
共催=新聞労連/メディア総合研究所/日本ジャーナリスト会議(JCJ)
後援=日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)
問い合わせ=JCJ 03‐6272‐9781(月・水・金午後)
植村裁判終結報告会(4月10日、札幌)における伊藤誠一弁護士(札幌訴訟弁護団共同代表)の報告を収録します
裁判官が市民社会の視点でなにも問われないということであってはならないが、この問題では裁判官が全員同じ方向を向いていたという事実について、正確に理解する必要があるのではないか
この裁判は、北海道内のおよそ100人の弁護士、東京を中心に20人以上の弁護士に加わっていただき、全力投球いたしましたが、また、皆さんの格別のご支援をいただきましたのに、勝利のご報告ができませんことにつきまして、非力を感じております。裁判を担った弁護団の責任者の一人として、植村さん、また皆様に対してお詫びを申し上げたいと思います。
マスコミ報道によって名誉が傷つけられたという言論人が、名誉を回復して挽回するという営みは、言論によってなされるということが期待されております。この裁判の当初、代理人となってほしいとお声がけをした弁護士の何人かは、これは言論の領域の問題ではないか、ということで参加いただけませんでした。これはこれで道理のある態度であったということができます。
ところで、植村さんが朝日新聞の記者であった当時、今から四半世紀以上前に書いた慰安婦記事が、2014年になってから、櫻井よしこ氏によって、その内容が捏造であると断定的に主張され、その内容がネットの上で拡散され、増幅されて、これを受けた者による植村さんとそのご家族に対する脅迫や威力による耐え難い妨害行為を生み出しました。櫻井氏が自らの言説が原因となっていることを知りながら見逃していたというにとどまらず、むしろこれを煽るかのように同種の言説を重ねていた。そういう事態の下では、もはや、言論の世界の問題であると観念的に割り切ることはできないということで、私どもはこの訴えに臨んだわけであります。
植村さんの当時の勤務先の北星学園への加害行為につきましては、これに対する大学の内の抵抗と、マケルナ北星!という外からの取り組みとが相まって、抑えられつつありましたけれど、ネット上の書き込みや郵便、電話などによる攻撃の影響は、まだ、植村さんとご家族の人としての尊厳を傷つけるような状態で続いておりました。多少デフォルメして申し上げますと、この訴訟はいわば緊急避難としての訴えの側面もあったのではないかと考えております。現に、訴え提起後、訴えが広く報道されますと、これら攻撃は目に見えて止んできた、と言うことができました。
この裁判で弁護団は「植村裁判を支える市民の会」のみなさんのご協力、サポートをいただきながら、全力で取り組んだという自負を持っております。あるいはご記憶かと思いますけれども、裁判は東京でやるべきである、という櫻井氏の抵抗を排して、1年間かかりましたけれど、札幌で審理を開始させることができました。法廷での植村さんのお話は、金学順さんの名誉を守るたたかいでもある、という姿勢を貫かれたもので、ご自分の体験とそれに基づいて考えるところをしっかりとお話しいただきました。また極めて困難な中で証人に立っていただいた元北海道新聞記者の喜多さんは、証言に当たって韓国に出向かれて、その当時ご自分がどんなことを考えていたのか、ということを振り返られたといいます。誠実な証人でございました。その証言は裁判所に説得力を持って伝わったのではないかと私は考えております。櫻井氏本人に対する尋問も大きな成果を上げたといえるでしょう。
裁判の外ではどうであったか。植村さんを先頭に「支える会」のみなさんのじつに旺盛な活動が展開され、多くの市民の皆さん、心ある、そして良識ある研究者、学者の方の共感が広がりました。このたび弁護団がまとめた「活動報告書」の56ページに、弁護団の事務局長の手で「植村訴訟を支えた人々と植村氏の活動」ということで整理させていただきましたけれど、これを見ますと、この5年間、ほんとうに大きな量と高い質の活動を続けられたということに驚くばかりです。
しかし、この裁判は、先ほど申し上げましたような、裁判を起こしたことによって植村さんとその家族に対する攻撃が止まった、植村さんの訴えが広まった、ということで良し、とされるべきものではありませんでした。勝たなければならない裁判でありました。
裁判で勝てなかったことによって、櫻井氏をして、大きな声ではなかったようでしたけれども、あの記事は捏造以外の何物でもない、ということを重ねて述べさせております。このようなことを許す結果になりました。
法廷の内と外の取り組みにも拘らず、なによりも、植村さんが、新聞記者として、ジャーナリストの精神に立つ取材をし、それに基づいて、また当時の報道状況をふまえて、良識的であると言える記事を新聞に書いた。その正当性を訴え、裁判ではその立証ができたと思われたのに、どうして勝てなかったのか。これは大きな問題です。この点は真摯に検証し、検討しなければならないと考えています。ただ、弁護団の中の討議のみで検証できる性質のことでもない、と思っております。この裁判を支えて下さった皆さん、また東京で頑張られた皆さんとの共同作業によることが必要なのではないか、そういう裁判ではなかったかと思っております。先ほどご紹介した弁護団の活動報告書も、こうした意味での裁判の検証結果に基づいてレポートしたものではありません。弁護団はこのような活動をした、という外形的な報告にとどまっています。その点はご了解いただきたいと思っています。
さて、裁判は、名誉毀損訴訟における「真実相当性」というテクニカルターム、特別の概念のところで主として争われ、そこで負けたわけですけれども、名誉毀損訴訟の場合、自分の言論によって相手の名誉が傷つくことがあったとして、述べていることは真実であると信じてそう表現した、それには相応の根拠がある、と表現者が裁判で述べて、その点が証拠上認められれば免責される、つまり名誉毀損に一応該当したとしても真実相当性の枠の中にあれば責任は負わない、賠償責任は問われないし刑事責任も問われない、という構造になっているわけです。
この真実相当性という概念は、最高裁判所の判断が重ねられてきて、判例法理と言われているものになっているわけですけれども、それによりますと、表現者が言論を生業としている場合、真実相当性があったと認められるために、表現者が乗り越えなければならないハードルはかなり高く設定されています。札幌の裁判所は、そして東京の裁判所もそうでありましたけれども、このハードルを著しく下げて、ジャーナリストであるという櫻井氏の真実相当性を認めてしまったわけであります。
従いまして、この事件を担当した裁判官が市民社会の視点でなにも問われないということであってはならないと思いますけれども、この問題では、裁判官が全員同じ方向を向いていたという事実について、正確に理解する必要があるのではないかと思います。この事件に関与した裁判官、(最高裁の裁判官は、自らの判断をするについて法律上様々な制約、こういう場合は判断してはいけない、とか制約が加えられていますので、とりあえず最高裁の裁判官を外すとします。)札幌地裁と札幌高裁で合わせて6人、東京地裁と東京高裁で合わせて6人、合計12人の裁判官が、この植村さんの新聞記事が意味するところに直面した、対面したわけですね、その12人の裁判官がみな同じ視線でこれをみた、ということが重要だと思います。この裁判の敗訴の原因について、これら裁判官の慰安婦問題についての理解の深さ、浅さと関連付けて話すことはできないわけではありませんが、その場合、ひとりひとりの裁判官のこの点をめぐる市民感覚、それはここにおられる皆さんの慰安婦問題に対する共通理解を踏まえた良識と言い変えることができると思いますけど、そことのズレを述べる、ズレていると言うだけでは足りない、それだけではこの問題について説明したことにならなのではないかと考えています。
この札幌、東京あわせて12人の裁判官、おひとりひとりを見ますと、私の乏しい経験でも少なくとも2、3人の裁判官は、例えば国家権力による市民の権利侵害の回復を求める別の訴訟ではしっかりとした仕事をされている、という事実があります。ひるがえって、裁判官とて、法の番人であるといっても人の子であります。自らの判断が社会の良識とかけ離れていて、市民社会からは到底受け入れられないという思いが強い場合、もちろん、裁判ですから、証拠あるいは裁判上の主張に基づくわけですけれども、自らの判断が市民社会に受け入れられないとみた場合には、このような結論は簡単には出さないのではないか、ということを考えます。そうしますと、慰安婦の問題では、私どもの主張するような形では、いまだ我が社会の中で裁判官の誤った判断を許さないような強い力、通有力といってよいと思いますが、十分ではない、ということを意味しているという面もあるのではないか、と考えます。
私は弁護士でございますから、この問題を札幌地方裁判所に訴えるという主体的選択をした結果、やはり裁判所の判断を求めることが不可欠であると判断した結果について、一生懸命全力で取り組んだということは申し上げましたけれど、その結果がどうであったかということについて、ある意味で結果責任を負う立場にあることは免れないわけであります。したがいまして、今申し上げましたような検証、検討を加えて、別の機会にでも、皆さんにきちんとお話しができるようにしておかなければいけないと考えております。
それにいたしましても、北海道の弁護士が100人、東京と連帯しながら5年間一丸となって、言論の名による無法、不法は許さない、と法廷で正面から闘い抜いたということは、重要な経験となりました。北海道における「法の支配」を貫く上で極めて大事な取り組みであったと考えております。これからも形を変えて生まれるでありましょう、わが民主主義を傷つけようとする事態に対しては、弁護士が、場合によっては弁護士が集団となって、毅然と立ち向かっていくということについて、皆さんに対して自信を持ってお約束できるのではないかと考えております。
5年間の長きにわたりましてこの裁判をサポートしていただいたこと、そして共同していただいたことに、あらためてお礼を申し上げます。どうもありがとうございました。
植村裁判終結報告会(4月10日、札幌)で植村隆氏が発表したメッセージ(全文)を収録
2020年11月18日付けの最高裁での上告棄却決定で、櫻井よしこ氏らを名誉毀損で訴えた札幌訴訟での私の敗訴が確定しました。翌日午後に札幌司法記者会で開かれた記者会見に、当時ソウルにいた私はLINE参加し、こういう声明を出しました。「櫻井氏の記事は間違っていると訂正させ、元慰安婦に一人も取材していないことも確認でき、裁判内容では勝ったと思います」。不当判決を確定させた最高裁決定には、非常に悔しい思いをしています。<取材もせずに「捏造」と断定することが自由になる>恐ろしい判例となるかもしれません。最高裁は、歴史に汚点を残したと思います。その後、2021年3月11日付の最高裁決定で、西岡力氏らを訴えた東京訴訟での私の敗訴が確定しました。汚点の繰り返しです。これで、「慰安婦」問題を否定する「アベ友」らを相手にした6年間の裁判が終わりました。
両方の裁判の過程で、櫻井氏や西岡氏がフェイク情報に基づいて、私を非難していたことが確認されました。札幌、東京の両弁護団の皆様のお力のおかげです。また裁判を支えてくださる市民の皆さんの助力の賜物です。判決は極めて不当なものでしたが、裁判の過程で、暴き出した被告らの不正義こそが、私たちの裁判の「勝利」の証拠だと思います。
この「勝利」の自信が、これからの言論人としての私の大きなエネルギーになります。この「勝利」に導いてくださった札幌、東京の弁護団の皆様一人一人に感謝をしております。ありがとうございました。皆様の真摯で懸命なご尽力は、一生忘れません。正義のために闘ってくださっている皆様の姿は、私の目と心に刻み込まれました。皆様と一緒に裁判を闘えたのは、私にとって大いなる喜びでした。この闘いの記憶は、私のこれからの歩みを支えてくれる大きな財産になると思います。何度感謝しても、感謝しきれない思いです。
札幌訴訟での私の敗訴確定の後、驚くべきことがありました。敗訴が確定したと言うことは、裁判に負けたということですが、これは私の記事が「捏造」と認定されたわけではありません。ところが、前首相の安倍晋三氏が2020年11月20日、自身のフェイスブックに私の敗訴を報じた産経新聞の記事を引用して投稿し、翌21日には「植村記者と朝日新聞の捏造が事実として確定したという事ですね」と投稿しました。「アベ友」勝訴の興奮したのでしょうか。これは明らかに間違いでした。早速、小野寺信勝先生と神原元先生のお二人の代理人を通じて、安倍氏側に削除を求める内容証明郵便を送りました。しばらくして、大きな進展がありました。敗訴を報じた産経新聞の記事の引用はそのままでしたが、捏造確定とした投稿を削除したのです。私は同年12月4日、「削除したことは、それが間違っていたことに気づいたからだと思います。これで、私の記事が『捏造』でないことが改めて確認されました」とする声明を発表しました。安倍氏は、こっそり取り消しただけで、何の謝罪もありません。非常に不愉快な出来事ですが、これは歴史修正(歪曲)主義者に対する、新たな闘いの機会と言えると思います。私の支援者の一人がこんなメールをくれました。「最高裁控訴棄却の意味について、改めて、広くわかりやすく伝えるチャンスになることを期待しています」。その通りだと思います。
裁判闘争の間に大きな二つの出来事がありました。一つは、韓国のカトリック大学に招かれ、2016年3月から招聘教授の職を得たことです。5年間、勤めました。講義をしながら、韓国内での言論活動も続けました。2019年12月には、韓国で最も尊敬されているジャーナリスト・李泳禧(リ・ヨンヒ)先生の名を冠した「李泳禧賞」を受賞するなどの栄誉を受けました。もう一つの大きな出来事は、2018年9月末に日本のリベラルな雑誌「週刊金曜日」の発行人兼社長になったことです。激しい「植村バッシング」に関わらず、同誌が招いてくれたのです。こうしたことは、私が「捏造」記者でないということが、歴史的に証明されつつあるということだと思います。これも皆様と共に闘った裁判闘争の成果だと思います。
そして、私は2018年秋からは、格安航空便(LCC)で日韓を往来しながら、教員と言論人の仕事を兼職しました。しかし、2020年春からの新型コロナ危機で、日韓の往来が非常に難しくなり、2021年2月末で、大学の教員をやめました。もともと一年ごとの契約でしたが、好評で毎年、契約がされてきました。後ろ髪を引かれる思いでしたが、コロナ危機下では両立が難しいと判断したのです。
2020年9月末から、「週刊金曜日」の発行人兼社長の二期目に入りました。「週刊金曜日」は、大メディアがどこも、「北星バッシング」「植村バッシング」を報じない中、最初に詳しく報じてくれた雑誌です。いまでも各地で、「北星バッシング」「植村バッシング」と似たような人権侵害などが起きています。「週刊金曜日」は、そうしたことを果敢に報じ、被害に遭っている人々の側に立ちたいと思います。日本に言論の自由や民主主義を根付かせることが、私のすべき仕事だと思うのです。
また朗報がもう一つあります。「植村バッシング」をテーマにしたドキュメンタリー映画『標的』(西嶋真司監督)がこのほど完成し、東京の外国特派員協会、日本記者クラブで相次いで完成記者会見が開かれました。4月10日には札幌で上映会と植村裁判報告会が開かれます。映画チラシでは、こう書いています。「なぜ記事は『捏造』とされたのか?不都合な歴史を消し去ろうとする、日本社会の真相に迫ります」。この中には、札幌訴訟を支えてくださった弁護士の皆様も登場します。この映画を日本中、世界中で上映して、歪んだ判決を告発し続けていきたいと思います。
6年前に比べ、私の世界は大きく広がりました。そして、パワーアップした自分を実感しています。やるべき仕事もたくさんあることに気づきました。大勢の仲間ができました。「試練」はたくさんの「出会い」を与えてくれたのです。その土台に弁護団の皆様や市民の皆様と共に裁判を闘った日々があると思います。ありがとうございました。これからも闘い続けます。
2021年3月30日、記
植村訴訟原告・植村隆
(元朝日新聞記者、元韓国カトリック大学招聘教授、週刊金曜日発行人兼社長)
札幌で集会が開かれるのは昨年2月の控訴審判決から1年2カ月ぶり。コロナ禍の下、札幌市では市外との往来自粛が続行中で、道の宿泊割引キャンペーン「どうみん割」も札幌市は除外されたまま。会場の入り口では手指消毒と検温が行われ、座席にはディスタンスが設けられました。参加者は160人ほど。旭川や室蘭からの参加もあり、映画「標的」の上映を地元でも実現したい、と語っていました。
報告会では、伊藤誠一弁護士(弁護団共同代表)と植村隆氏(元朝日新聞記者、週刊金曜日発行人)が、札幌で5年にわたった裁判を振り返り、確定判決の問題点と裁判で得た成果について、それぞれの思いを語りました。
伊藤弁護士は、「勝利報告ができないことに非力を感じ、お詫びを申し上げたい。支援のみなさんの大きな量と高い質の活動には驚くばかり」と語った後、裁判の成果として、▽櫻井氏側からあった審理東京移送の動きを止めた▽植村バッシングを緊急避難的に止めた▽金学順さんの名誉を守るたたかいであることも含め、植村氏は自身の主張と姿勢を貫いた▽元道新記者の喜多氏の誠実な証言は説得力があった▽櫻井氏の尋問も大きな成果を上げた▽言論の名による不法と無法を許さないたたかいは北海道における「法の支配」を貫く上で重要な経験となった、ことを挙げました。背筋を伸ばし古武士然として語る伊藤弁護士の話に、参加者は静かに耳を傾けていました。判決の核心である「真実相当性」のハードルを著しく下げた裁判官の判断については、「慰安婦の問題では、いまだ私たちの社会には、誤った裁判を許さないという強い力、通有力が十分ではないという面もあるのではないか」と伊藤弁護士は分析した上で、「民主主義を傷つける事態には毅然と立ち向かっていく」と結びました。
植村氏は、「皆様と闘えたことの喜び」と題するメッセージを会場で参加者に配布し、その文章に沿った形で語りました。「本当に悔しい。裁判を起こす時には負けるなどとは思っていなかったのです。この裁判で勝った連中は裁判の途中で自分の記事を訂正しているんですよ。なんで私が負けるんですか」と述べ、「しかし、裁判では、支援の市民による調査で、西岡氏や櫻井氏のフェイク情報を明らかにできた。ですから、これは勝利的敗訴なのです」と語りました。口調は終始穏やかで、時にジョークも交え、会場からは笑いと拍手が起きていました。5年間つとめた韓国カトリック大学の教授職は、コロナ禍によって日韓往来の負担が増えたため、2月末に退職したとの報告もありました。「5年前に大学(神戸松蔭女子学院大)から断られた私が、こんどは私からお断りすることになりました」とのことです。映画「標的」は東京の外国特派員協会と日本記者クラブで披露会見があり、いよいよ公開が始まります。週刊金曜日のほうは社長任期が2期目に入りました。「バッシングの被害にあっている人々の側に立ち、日本に言論の自由や民主主義を根付かせることが私のすべき仕事だと思う」とこれからの決意を語りました。
text=H.N. photo=石井一弘
植村裁判を支える市民の会は、4月10日に札幌市の自治労ホールで開いた「裁判終結報告会」で最終メッセージを発表しました。「裁判終結報告会」では弁護団共同代表の伊藤誠一弁護士、原告の植村隆氏の報告がありました。また、報告にに先立ち、映画「標的」の上映があり、監督の西嶋真司氏の挨拶もありました。
■植村裁判を支える市民の会■最終メッセージ
植村裁判は敗訴が確定した。市民感覚からかけ離れた司法の姿を目の当たりにし、怒りを禁じ得ない。裁判所は私たちの社会に対し責任ある判断をしたのか、改めて問いたい。判決は「歴史的事実」に向き合わず、「真実相当性」に関する従来の判断基準を大幅に緩和した。これでは歴史修正主義を後押しし、無責任で「フェイク」な言論を野放しにしないか。安倍前首相が自身のフェイスブックに「植村記者と朝日新聞の捏造が事実として確定した」とデマを書き込むなど、既にその兆候が表れている。植村裁判をともに闘った市民として、歴史の歪曲につながる動きに、さらに目を凝らしたい。
日本軍「慰安婦」にされた韓国人女性の証言を報道したことで執拗な〝捏造〟バッシングを受け、名誉回復を司法に求めた朝日新聞元記者、植村隆氏の訴えに対し、最高裁は3月11日、麗澤大学客員教授、西岡力氏を被告にした東京訴訟で、またそれより先の昨年11月18日、自称ジャーナリスト、櫻井よしこ氏らを被告にした札幌訴訟で、植村氏側の上告をそれぞれ棄却した。
札幌、東京の両訴訟を通じて私たちが改めて確認したことは、植村氏の記事に櫻井、西岡両氏が指摘するような〝捏造〟は一切なかったことである。そのうえで明らかになったのは①櫻井、西岡両氏ともに〝捏造〟とした根拠を説明できなかったこと②むしろ両氏ともに資料そのものを誤読・曲解して引用したと認めたこと③両氏ともに報道・研究にあたって最も基本とされる、植村氏への本人取材をしていないこと――などが挙げられる。
にもかかわらず、裁判所は櫻井、西岡両氏の記述には「真実相当性」があるなどとして両氏の法的責任を「免責」し、植村氏の賠償請求を退けた。自らの非を一部認めた櫻井、西岡両氏の法廷証言をはじめ、植村氏側から提出した数々の証言・証拠を十分に吟味した形跡はなく、「思い込んだものは致し方ない」と言わんばかりの判断だったと受け取らざるを得ない
裁判所のこのような乱暴な判断の背景に、櫻井、西岡両氏らが推し進める、慰安所などの存在すら否定する歴史修正主義への同調が感じられる。植村氏の記事は日本軍慰安所で性暴力にさらされた女性の証言にもかかわらず、公娼制度下の「単なる慰安婦」の発言ではないかと問題をすり替えかねない表現すらあった(札幌高裁)。歴史の事実から目をそらそうと常々誘導する櫻井、西岡両氏らの口舌と、先の判示は同様レベルといえないか。
日本軍「慰安婦」をはじめとする戦時性暴力についての内外の実証的な歴史研究は、日本軍が侵略した地域で階級別など様々な慰安所を設置し、「慰安婦」の最前線への派遣、さらに作戦中の「強姦、略奪、放火」を含め、日本兵の〝性〟をめぐる組織的・構造的な特質を明らかにしている。今回の免責判決が、こうした歴史的知見を無視する歴史修正主義に加担すると指摘されるゆえんだ。昨今の日本学術会議問題などにうかがえる、科学者や専門知を軽視する政治のあり方とも通底している。
さらに問題なのは、言論において本来求められる取材・調査、資料チェックなどの徹底で保証される「真実相当性」のハードルを著しく引き下げたことである。事実に基づかない、恣意的な言論が「真実相当性」の名のもとに罷り通れば、情報を基盤にする民主主義の健全さは大きく損なわれるだろう。
植村裁判には札幌地・高裁、東京地・高裁、最高裁の2小法廷で、20人以上の裁判官が関与した。いずれもが同じ方向を示す判決に、政治や社会の思潮を往々にして忖度しがちな一端を垣間見る思いだ。司法の立ち位置は民主主義の成熟度を映し出す鏡でもある。植村裁判の結果は、歴史を直視し、反省を未来へと生かす力の弱さを私たちの社会に突きつけたともいえる。
植村裁判を支えてくれた全国の皆さんとともに、今後も歴史修正主義に毅然として対峙し、歴史の真実を社会に一層広く訴えていきたい
2021年4月10日 植村裁判を支える市民の会
共同代表
上田文雄(弁護士、前札幌市長)
小野有五(北海道大学名誉教授)
神沼公三郎(北海道大学名誉教授)
香山リカ(精神科医、立教大学教授)
北岡和義(ジャーナリスト)
崔善愛(ピアニスト)
本庄十喜(北海道教育大学准教授)
最高裁は3月11日、植村裁判東京訴訟の上告を棄却する決定をした。
植村隆氏と弁護団は12日、記者会見を開き、声明を発表した。日本ジャーナリスト会議(JCJ)、メディア総合研究所、日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)もそれぞれ声明を発表した。
植村隆氏の声明
本日、最高裁の決定を受け取りました。これで、西岡力氏らを名誉毀損で訴えた植村裁判東京訴訟での私の敗訴が確定しました。極めて不当な決定です。最高裁は、植村裁判札幌訴訟(対櫻井よしこ氏裁判)に引き続き、歴史に汚点を残す司法判断を再び下しました。
西岡氏は『週刊文春』記事の談話で、私が1991年8月に朝日新聞に書いた元日本軍「慰安婦」金学順さんの証言記事を「捏造」と決めつけるなど、私に対する「捏造」攻撃を繰り返してきました。西岡氏は談話で、金学順さんが「親に身売りされて慰安婦になったと訴状に書き、韓国紙の取材にもそう答えている。植村氏はそうした事実に触れ」ていないと述べましたが、それが事実ではないことが東京地裁の被告本人尋問で明らかになりました。西岡氏は虚偽の根拠に基づいて、私を攻撃していたのです。記事を「捏造」と断言されるのは、ジャーナリストにとって「死刑」宣告のようなものです。しかし、西岡氏は私に直接取材すらしていませんでした。
この西岡氏のフェイク言説が、すさまじい「植村捏造バッシング」を引き起こしました。多数の人々がバッシングに加わり、その結果、私は内定していた大学の教授職を失いました。当時、高校生だった私の娘の顔と実名が悪質なコメントとともにツイッターやインターネットなどにさらされ、「娘を殺す」という脅迫状まで送られてきました。私が非常勤として勤務していた大学に脅迫電話をかけた犯人の一人は逮捕され、罰金刑を受けました。娘をツイッターで誹謗中傷した一人は裁判で責任が問われ、賠償金を支払いました。しかし、「植村バッシング」を引き起こした張本人である西岡氏の責任が全く問われていません。異常な司法判断と言わざるを得ません。
また西岡氏は、私が1991年12月に書いた記事について、著書などで、金学順さんがキーセンに売られたことを書かなかったから「悪質かつ重大な捏造」だと決めつけました。私たちは、この主張を打ち崩す新たな証拠を発見し、東京高裁に提出しました。日本政府を相手取った訴訟を準備していた金さんが初めて弁護団の聞き取り調査に応じた1991年11月25日録音のテープです。ここで金さんは「キーセン」について一言も触れていません。私は記事の前文で「弁護士らの元慰安婦からの聞き取り調査に同行し、金さんから詳しい話を聞いた。恨の半生を語るその証言テープを再現する」と書きました。証言テープで触れられていない内容を記事に書くはずがないのです。ところが、高裁判決はその新証拠を正当に評価しませんでした。
こうした一審・二審の判断を最高裁が追認したのです。西岡氏は裁判期間中の2016年5月23日付で、櫻井よしこ氏が理事長をつとめる「国家基本問題研究所」の「ろんだん」に、こう書いています。「私は1991年以来、慰安婦問題での論争に加わってきた。安倍晋三現総理大臣や櫻井よしこ本研究所理事長らも古くからの同志だ」。つまり私は「アベ友」相手の裁判で相次いで敗れたのです。昨年11月19日に安倍晋三前首相は、自身のフェイスブックに札幌訴訟の最高裁決定を報じた産経新聞の記事を引用し、20日未明には「植村記者と朝日新聞の捏造が事実として確定したという事ですね」と書き込みました。しかし判決に私の記事を「捏造」と認めた記述はありません。これは完全なフェイク情報です。私の抗議で、安倍氏はこのコメントを削除しました。私の記事が「捏造」ではないことを改めて証明する機会になりました。同時に私は巨大な敵と闘っているということを改めて実感しました。
櫻井氏は自分の文章に、金学順さんが1991年提訴した際の訴状について「14歳の時、継父によって40円で売られたと書かれている」と書きました。しかし金さんの訴状にそのような記述はありません。今回の札幌訴訟で私の指摘を受けて、自分の記述が間違っていたことを認め、雑誌WiLLと産経新聞に訂正を出しました。裁判の結果は、残念ながら敗訴となりましたが、金学順さんが元「慰安婦」として勇気を持って名乗り出たことをいち早く伝えた私の記事の歴史的意義は、西岡氏や櫻井氏らの攻撃でも損なわれていないことが、改めて確認できました。今回の裁判結果にひるむことなく、故金学順さんら元「慰安婦」をはじめとする戦時の性暴力被害者たちの名誉や尊厳を守るため、「アベ友」らによるフェイク情報の追及を続けていきたいと思います。
2021年3月12日、元朝日新聞記者 植村隆
上告棄却決定を受けて 弁護団声明
最高裁第一小法廷は、3月11日付けで、植村氏の上告を棄却し、上告受理申立を不受理とする決定を下した。これにより、元朝日新聞記者植村隆氏が、株式会社文藝春秋と西岡力氏を被告として提訴した名誉毀損に基づく損害賠償等請求訴訟(提訴は2015年1月付け)が、植村氏の請求を退ける形で確定した。
植村氏は1991年執筆の朝日新聞記事において、日本軍従軍慰安婦として最初に名乗りをあげた金学順氏の証言を報道した。西岡氏は植村氏の記事について、「捏造」などと決めつけ、繰り返し攻撃してきたものである。植村氏は、西岡氏とその影響を受けた人々らの攻撃により、大学教授の職を追われ、家族が脅迫を受ける等の深刻な被害を受けてきた。植村氏は、自己の名誉と家族の安全、そして慰安婦として名乗りを上げた金学順氏の尊厳を守るため訴訟に踏み切らざるを得なかったのである。
植村氏の訴えを退けた東京地裁判決は、植村記事中「女子挺身隊の名で」という記載は「強制連行を意味する」との前提で、植村氏は意図的に事実と異なる記事を書いたと認定した。しかし、植村氏において強制連行をでっち上げようという悪しき意図があったとすれば、「だまされて慰安婦にされた」等と書くわけがない。かかる不当な認定を追認した最高裁判決は、もはや人権の砦としての職責を放棄したというほかなく、強い怒りを禁じ得ない。
他方、東京高裁判決においては、植村氏が、金氏が妓生に身売りされたとの経歴を知っていたのにあえてこれを記事にしなかった事実や、植村氏が義母の裁判を有利にするために意図的に事実と異なる記事を書いたとの事実について、真実性が否定されている。この意義は極めて大きい。
金学順氏は、日本軍により17歳で従軍慰安婦にさせられたという被害を訴えた。これについて、金氏は妓生に身売りされて慰安婦になったとか、植村氏はそれを知っていながら隠した等の右派による歴史修正的な言説が喧伝されてきた。西岡氏は「身売り」説の中心にいたのである。本判決により「身売り」説が真実に反するとの判決が確定したのであるから、以後、同様の虚偽宣伝をくり返すことは許されない。
未だインターネット等においては、西岡氏と同趣旨の虚構に基づいて植村氏を攻撃するものが散見される。弁護団は、今後も植村氏の名誉を守り、慰安婦問題に関する歴史の真実と正義を守るために活動を続ける所存である。
2021年3月12日、植村隆弁護団
日本ジャーナリスト会議 声明
右派論客の「いいかげんさ」明らかにした植村裁判
2015年の提訴以来、6年にわたった元朝日新聞記者・植村隆氏による名誉棄損訴訟は、言論界の歴史に刻まれるだろう。旧日本軍による朝鮮人女性らに対する人権侵害、従軍慰安婦の問題を正面から取り上げ、その存在を否定する「右派の論客」といわれる人たちの「いいかげんな姿」を法廷の内外で明らかにしたからだ。
札幌訴訟で被告となった櫻井よしこ氏は、元従軍慰安婦の金学順さんが日本政府を相手に起こした裁判にからみ、「訴状には、14 歳のとき、継父によって40 円で売られたこと(中略)などが書かれている」と様々な出版物で主張した。そのうえで「40円」などについて新聞記事で触れなかった植村氏を「捏造」記者と中傷した。
しかし現実の訴状にその記述はない。フリーランスライターが金学順さんを取材して書いた月刊誌の記事を読んで、実は櫻井氏は「40 円」を知ったのだという。直接の当事者取材をせず、第2 次資料の雑誌記事をそのまま信用し、それを「訴状に書かれている」と言って間違いを犯す。その安易さ、軽さに私たちは驚く。少なくとも植村氏は金さんと直接会い、話を聞いている。ジャーナリストにとって、この差は大きい。
東京訴訟での被告、西岡力氏も信じがたい行為に及んでいた。韓国ハンギョレ新聞の金さんに関する記事を著書で引用しながら、末尾に「私は、40円で売られて、キーセンの修業を何年かして、その後日本の軍隊のあるところに行きました」と、同紙に書いていない文章を付け足していたのだ。記事の改ざんである。
金学順さんはあくまで商行為で軍に近づいて慰安婦になったと一方的に想像する両氏は、「40円」を強調するため、おかしな記述をした。だが実際の金さんは中国で、日本軍人によりトラックで慰安所に連行され、将校級の男からいきなりレイプされた。その悲痛な証言は無視されたままだ。
植村氏を「捏造記者」と櫻井氏、西岡氏が新聞や出版物で中傷した結果、激しい植村バッシングが起きた。ネット上に家族がさらされ、殺人脅迫にまで至った。そのムードを煽った両氏の責任は重い。
迫害されているジャーナリストの支援を、日本ジャーナリスト会議は大きな活動目的のーつに掲げている。最高裁の決定で、植村さんの訴えは認められなかったが、従軍慰安婦の歴史の解明と、言論を脅迫と暴カで抑え込もうとする勢カとの闘いに、これからも全カで取り組む決意だ。
メディア総合研究所 声明
歴史の闇に光を当てる果敢な報道を期待する
~一連の「植村裁判」終了に当たって~
元朝日新聞記者で『週刊金曜日』発行人の植村隆さんが、「慰安婦」報道をめぐる署名記事を「捏造」と決めつけた研究者らに対して名誉棄損を訴えた一連の裁判で、最高裁による判断が示された。残念ながら植村さん側の主張は認められず、慰安婦問題をめぐる事実に基づかない主張は、「真実相当性」のハードルを下げる司法判断によって、札幌・東京の地裁・高裁、そして最高裁に容認されてしまった。
根拠のない情報を流布させた責任を免責した一連の司法判断が、この国の言論空間をさらに歪んだものにしてしまう悪影響を強く懸念せざるを得ない。とくに、誤った情報で不当なバッシングにさらされた植村さんとそのご家族が、法的には何の補償も得られないことになったのは返す返すも残念だ。
一方で、被告の西岡力氏や櫻井よしこ氏らは、いずれの法廷でも植村氏の記事を「捏造」と断定した根拠を示すことができず、かえって自身の主張の一部を訂正することを余儀なくされた。このように、一連の裁判を通じて、植村さんが決して「捏造記者」でなかったことが事実をもって証明された、と日本の司法が認定したことにもなった。札幌・東京双方における植村さんの弁護団の皆さんに対し、この間の多大な努力を心より労いたい。また、この裁判のたたかいを通じて、全国各地の心ある市民やジャーナリスト、学生たちの間に広がった支援の輪も、得難い成果だと言えるのではないだろうか。
「フエイクニュース」がSNSなどで容易に拡散してしまう今日、事実に基づいた正確な報道・情報はますます重要性を帯びてきている。それは、プロフェッショナルとしてのジャーナリストたちの地道な活動なくして成り立たない。いわゆる「慰安婦」問題については、近年の歴史研究の進展にもかかわらず、日本国内の一般のメディアによる報道は、残念ながらごく一部に限られている。報道の現場で働く方々の一層の奮起を願わずにいられない。
戦争における加害・被害の悲劇を二度と繰り返さないためにも、現代そして次世代を担う記者・ジャーナリスト各位には、日本の戦争責任・植民地責任をめぐるテーマについて、臆することなく果敢に報道していくことを、心から期待したい。
2021年3月12日、メディア総合研究所長 砂川浩慶
日本マスコミ文化情報労組会議 声明
「ジェンダー平等」逆行の司法判断を批難する
元慰安婦の証言を書いた記事に対して繰り広げられた「捏造」バッシングについて、元朝日新聞記者の植村隆さん(現・週刊金曜日発行人)が名誉回復を求めていた損害賠償訴訟(東京訴訟)の上告が退けられ、請求を棄却した一審、二審が確定しました。もう一つの損害賠償訴訟(札幌)の上告棄却に続く不当な判断で、大変遺憾です。一連の司法判断を受けて求めた「真実相当性」の判断についても棄却されました。この判断は、S N Sなどで氾濫するフェイクニュースや性被害者、ジャーナリストに行われている「言われなきバッシング」を助長しかねません。戦時性暴力の被害者である慰安婦の証言を報じた側には社会的に重い責任を負わせ、被害者の証言報道を「捏造」などと貶める側の取材不足・誤読・曲解については大幅に免責する一連の司法判断が確定したことは、維持されるべき「民主主義」や「ジェンダー平等」の広がりに逆行するもので、強く抗議し批難します。
一連の訴訟は、1991年に韓国で初めて「元慰安婦」であったことを名乗り出た女性の証言を新聞記事にした植村氏に対して、西岡力麗澤大学客員教授とジャーナリストの櫻井よしこ氏が、2014年ごろからコラムや論文で「捏造」記者と攻撃したことに端を発します。当時、植村氏の勤務先の大学に退職を要求する脅迫文が大量に送りつけられたり、インターネット上で家族を含めた個人攻撃が行われたりしました。訴訟で、植村氏を「捏造」と断じていた西岡氏や櫻井氏の主張の根拠が成り立たないことが明らかになりましたが、控訴審を含めて、西岡氏や櫻井氏らを免責する判決が出ました。
今回確定した二つ訴訟の判決で問題にすべき点は、免責につながる「真実相当性」に対する判断です。「桜井氏は(植村氏)本人に取材しておらず、植村氏が捏造したと信じたことに相当な理由があるとは認められない」とする植村氏側の主張を退ける際、札幌高裁が「真実相当性」に関わる判断として、「資料などから十分に推認できる場合は、本人への取材や確認を必ずしも必要としない」としました。
続く上告審では、名誉毀損の免責理由となる、この「真実相当性」について、判断の見直しを求めましたが、退けられました。「真実相当性」は「確実な資料や根拠に基づき真実だと信じることが必要」とされていますが、今回の棄却によって「真実相当性」に対するハードルを下げて解釈することが可能になるのではないかと危惧します。
そもそも、意に沿わない記事を書いた記者を社会から排除しようとする行為そのものが「言論の封殺」につながり、批難されるべきものですが、今回の判断により、報道や言論表現をする上で、デマやフェイクの歯止めとなる「真実相当性」のハードルが下がってしまいかねません。確実な資料や根拠に基づかないバッシングも許してしまったり、フェイクニュースを根拠に新たなフェイクニュースが生み出され拡散されてしまったりしても、発出した責任が問われにくくなる恐れがあります。そのような流れが社会的に容認されてしまうことは、メディアの労働組合として到底看過できません。
事実に基づいて記事を書いた記者を「捏造」だと流布し、そのレッテル貼りが許されれば、モラルに沿い、事実に基づいて行われるべき報道のあり方そのものが否定されるのと同じです。その否定は、民主主義の根幹を揺るがすことにもつながりかねません。また、「記者への死刑判決」とも言える、事実に基づかない「捏造」のレッテル貼りも容易となり、とがめられなくなれば、表現活動への萎縮ムードを招きます。結果として、為政者にとって都合のいい歴史修正主義が横行してしまい、次世代のジャーナリストが過去の歴史的事実に向き合い、報道していく道を狭めてしまいます。
また、植村裁判の一連の司法判断では、歴史的事実や女性の人権に対する裁判所の認識の歪みが表れていましたが、その歪みに「司法のお墨付き」が与えられてしまいました。その象徴としては、植村氏が報じた慰安婦の証言について、「単なる慰安婦が名乗りでたにすぎないというのであれば、報道価値が半減する」と札幌高裁の言及があります。戦後、長い苦しみの時間を生き抜き、勇気と決意をもって名乗り出た女性を「単なる慰安婦」と貶めました。この言葉は、過去の戦時性暴力と向き合わず、現代の女性の性被害事件に対して連続で無罪判決を下してきた、司法の「遅れたジェンダー平等」感覚を体現しているのではないでしょうか。公に発せられたこの言葉は、私たちを大いに失望させ、過去と現代に生きる全ての女性への侮辱や著しい人権侵害と解します。そのような観点から見ても、今回の上告棄却は、今後の性暴力被害の告発やその報道にも深刻な影響が出かねないもので、容認できません。
今回の上告棄却を受けても、メディアの労働組合に集まる私たちは、植村さんをはじめとする、真実を追い求めて報じるジャーナリストに対する攻撃を許しません。また、事実に基づく報道や表現活動が尊重され、守られることをのぞみます。これからも、過去から未来にかけて女性の人権を侵害し、ジェンダー平等を否定したり、逆行したりするような公的な判断や行為については、批難するとともに、絶えず修正を求めていきます。
2021年3月12日
注=日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)には、新聞労連、民放労連、出版労連、全印総連、映演労連、映演共闘、広告労協、音楽ユニオン、電算労が結集している
東京訴訟の上告棄却決定により、植村氏敗訴が札幌訴訟とともに確定し、植村裁判はすべて終結しました。
新聞・通信社の電子版が報じた記事を以下に引用します。
(引用はじめ)
■ 朝日新聞デジタル
慰安婦報道訴訟、元朝日記者の敗訴確定 最高裁
https://www.asahi.com/articles/ASP3D63DVP3DUTIL02X.html
韓国人元慰安婦の証言を書いた1991年の朝日新聞記事を「捏造」と記述され名誉を傷つけられたとして、元朝日新聞記者で「週刊金曜日」発行人兼社長・植村隆氏が、西岡力・麗沢大客員教授と「週刊文春」発行元の文芸春秋に賠償などを求めた裁判で、最高裁第一小法廷(小池裕(ひろし)裁判長)は植村氏の上告を退けた。名誉毀損の成立を否定した一、二審判決が確定した。11日付の決定。
東京地裁は、日本軍や政府による女子挺身(ていしん)隊の動員と人身売買を混同した同記事を意図的な「捏造」と評した西岡氏らの指摘について、重要な部分は真実だと認定。東京高裁は指摘にも不正確な部分があると認めつつ、真実相当性があるとして結論は支持していた。(阿部峻介)
■北海道新聞電子版
元朝日記者敗訴確定 慰安婦報道訴訟 上告棄却
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/521025/
朝日新聞元記者の植村隆氏(62)が、自身の従軍慰安婦関連の記事について「捏造」と批判され名誉を傷つけられたとして、麗沢大の西岡力客員教授(64)と文芸春秋(東京)に計2750万円の損害賠償などを求めた訴訟で、最高裁第1小法廷(小池裕裁判長)は植村氏の上告を退ける決定をした。請求を棄却した一、二審判決が確定した。
決定は11日付で裁判官5人全員一致の結論。判決によると、植村氏は1991年、元慰安婦と名乗り出た女性の証言を2本の記事にした。西岡氏は2012~14年に捏造と指摘する論文を発表、週刊文春も14年に西岡氏の発言を紹介した。
19年6月の東京地裁判決は、西岡氏と文春側が植村氏の社会的評価を低下させたとして名誉毀損を認めた。ただ、植村氏が女性への取材で「自分はだまされて従軍慰安婦になった」と聞きながら「日本軍により戦場に連行された」と報じたと認定。「意図的に事実と異なる記事を書いたと認められ、西岡氏の論文は重要な部分で真実性の証明がある」と判断し、論文などは公益を図る目的があったとして被告側の賠償責任を否定した。昨年3月の二審東京高裁判決も追認した。
植村氏は東京都内で記者会見し「通常の取材で書いた問題のない記事だと思っている。なぜこのような司法判断になるのか」と話した。西岡氏は「主張が認められたのは当然。今後は言論で論争できればと思う」、文芸春秋は「当然の決定だ」とのコメントを発表した。(田口博久)
■ 読売新聞オンライン
慰安婦報道巡る訴訟、元朝日記者・植村隆氏の敗訴確定
朝日新聞社のいわゆる従軍慰安婦問題の報道を巡り、元朝日記者の植村隆氏(62)が、自身の執筆記事を「悪質な「捏造」」などと批判した西岡力・麗沢大客員教授の論文や週刊文春の記事は名誉毀損だとして、西岡教授と文春側に損害賠償と謝罪広告の掲載などを求めた訴訟の上告審で、最高裁第1小法廷(小池裕裁判長)は11日付の決定で原告側の上告を棄却した。
記述の重要部分の真実性や真実相当性を認め、原告側の請求を棄却した1審・東京地裁と2審・東京高裁の判決が確定した。
■ 時事通信
元朝日記者の敗訴確定 慰安婦報道訴訟 最高裁
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20210312-00000093-jij-soci
元朝日新聞記者の植村隆氏が、自身の従軍慰安婦問題に関する記事について「捏造報道」などと書かれ、名誉を毀損されたとして、研究者の西岡力氏と文芸春秋に損害賠償などを求めた訴訟で、最高裁第1小法廷(小池裕裁判長)は12日までに、植村氏側の上告を退ける決定をした。
11日付。植村氏の請求を棄却した一、二審判決が確定した。西岡氏は週刊文春などで、植村氏が1991年の新聞記事で元慰安婦の女性の経歴などを適切に報じなかったとし、「捏造記事と言っても過言ではない」などと批判。植村氏は名誉を傷つけられたとして、記事取り消しや慰謝料を求めていた。
一審東京地裁は2019年6月、植村氏は女性が日本軍に強制連行された認識がなかったのに「戦場に連行された」と報じたとし、「意図的に事実と異なる記事を書いた」と認定。「従軍慰安婦は国際的な問題となっており、(西岡氏の)表現の目的は公益を図ることにある」として、賠償責任を否定した。二審東京高裁も20年3月、地裁の判断を追認した。
■産経ニュース
元朝日の植村隆氏、敗訴確定 慰安婦記事への批判めぐり
https://www.sankei.com/affairs/amp/210312/afr2103120016-a.html
「慰安婦記事を捏造した」などと指摘する記事や論文で名誉を傷つけられたとして、元朝日新聞記者の植村隆氏が、文芸春秋と麗澤大学の西岡力客員教授に損害賠償と謝罪記事の掲載などを求めた訴訟で、最高裁第1小法廷(小池裕裁判長)は植村氏の上告を退ける決定をした。11日付。植村氏の請求を棄却した1、2審判決が確定した。
判決によると、植村氏は平成3年、韓国の元慰安婦の証言を取り上げた2本の記事を執筆した。西岡氏は「捏造」と指摘する論文を発表し、週刊文春も26年、西岡氏の発言を取り上げて報じた。
1審東京地裁判決は、植村氏が取材で、女性がだまされて慰安婦になったと聞きながら「日本軍により戦場に連行され、慰安婦にさせられた」と報じたと認定。「意図的に事実と異なる記事を書いたと認められ、西岡氏の論文の記述は重要な部分について真実性の証明がある」と指摘した。論文や週刊誌報道には公益を図る目的があったとして、賠償責任を否定した。2審東京高裁判決も支持した。
(引用おわり)
櫻井よしこ氏が月刊「WiLL」の最新号(2021年2月新春号)で阿比留瑠比氏(産経新聞論説委員)と対談し、植村裁判札幌訴訟で判決が確定したことについて、「完全な勝訴」「捏造が認定」などと一方的な解釈で勝利宣言をしている。
この対談は、同誌の巻頭の大特集「元朝日新聞植村記者『慰安婦捏造』に最高裁の鉄槌!」(p30~78)のトップ記事(p30~p43)。櫻井氏は、「彼女(金学順)の言った事実を書かないで、『女子挺身隊の名で連行され』たと、彼女の言っていないことを書いた。都合の悪いことを隠して都合のよいことを書き加える――これは『捏造』以外の何物でもありません」と、これまでの主張をより一層強い口調で語り、阿比留氏は「ついに真実(ファクト)が捏造(フェイク)に勝利した」と応じている。このような記述も含め、この対談記事には、誇大な表現や事実の歪曲、不当な人格攻撃などが少なくない。裁判で明らかになった櫻井氏の誤りに全くふれていないことも公平性と誠実さを欠く。以下に、対談記事の問題点を対談形式で検証する。
なお、同誌特集では東京訴訟の被告西岡力氏も登場し、門田隆将氏(作家)と対談(p44~55)している。両氏は「朝日は日本国民に訂正・謝罪せよ」と息巻き、西岡氏はこれまでの主張を繰り返している。この対談は東京訴訟の勝訴確定を前提としたものであり、両氏の発言には看過できない問題点が多数ある。しかし、最高裁の判断 はまだ下されていないので、当ブログでは、問題点の検証と指摘は判決確定後に明らかにする。
=以下、文中の人名は、元慰安婦被害者も含めすべて敬称を略します
■誇大な表現と事実の歪曲
Q この対談記事はひどい。意図的な歪曲、悪意に満ちた誹謗中傷があふれている。
R ほんとに、ひどい。その一言に尽きる。読んでいて呆れるばかりだった。
Q 年末に読んで感じた怒りは、年が明けてもおさまらない。
R 14ページにわたる長い記事だが、全体を通じて誇大な表現と事実の歪曲が目立つ。その極みが完全勝訴と捏造認定という表現だ。
Q 対談の冒頭からして「完全勝訴おめでとうございます」だからね。
R たしかに、櫻井の勝訴、植村の敗訴は、最高裁の決定で確定した。地裁、高裁、最高裁すべてで、植村の請求は退けられた。しかし、櫻井は完全勝訴したわけではない。裁判所は植村の記事が捏造であるとは認定していない。裁判所が認めたのは、「継父によって人身売買され慰安婦にさせられた」とする櫻井の記述を「真実と認めるのは困難である」 ということと、にもかかわらず植村記事が捏造だと櫻井が信じたことにはそれなりの理由があるから櫻井は免責されるということだ。櫻井の取材の杜撰さも明らかになって、阿比留の勤務先である産経新聞と、今回の特集を載せた雑誌「WiLL」にそれぞれ訂正を出している。それなのに、まるで完全な勝訴であるかのように喜んでいる。
Q 裁判所は、櫻井が植村の記事を捏造と決めつけるにはそれなりの理由があった、と認定し、櫻井が植村の名誉を毀損した責任を免じた、ということなのだ。
R だから、櫻井勝訴は外形的事実に過ぎない。判決の内容や裁判の経過をきちんと検証すれば、完全勝訴と浮かれることはできないはずだ。
R 記事の見出しに「慰安婦捏造に最高裁が鉄槌!」とか「ついに真実が捏造に勝利した」などとある。櫻井と阿比留だけでなく、編集者もいっしょになってお祭り騒ぎをしている。
Q 阿比留は「司法が朝日の捏造を認定した意義は大きい」と言っている(p31、下段)。
R これは違う、と声を大にして繰り返して言いたい。判決のどこにも「朝日の記事は捏造だった」などと認めた記述はない。櫻井が植村の記事を捏造と記述したことについて「真実と信じた相当性がある」と認め、櫻井を免責したにすぎない。阿比留のような、誤った、しかも誇張した解釈が拡散されることは許せない。
Q この記事が出る前に安倍晋三が同じようなデマをフェイスブック で流していた。
R 「植村記者と朝日新聞の捏造が事実として確定したという事ですね」というコメントのことだね。
Q 植村がすぐに内容証明郵便で強く抗議したら、安倍はこっそりコメントを削除した。前首相の大失態であり、みっともない。安倍の議員事務所はこの件での取材を受けず、削除を認めるコメントを出していない。ところが阿比留は、記事の中で「面倒な人たちに絡まれるのを嫌ってか、安倍前首相はフェイスブックのコメントを取り下げました」(p37、上段)と負け惜しみを言うなかで、コメントを削除したことを安倍本人の代わりに認める格好になっている。
R 安倍のデマ発信はうまくいかなかった、そこで安倍親衛隊の櫻井と阿比留が親分の失敗をカバーするために、この記事でフォローしているということなんだろうね。
■櫻井は加害者、植村は被害者
Q 表紙と記事大見出しにある「晴らされた濡れ衣 」にも驚いた。
R そもそも、捏造という濡れ衣を着せられたのは植村であって、だからこそ植村は名誉毀損で訴え、濡れ衣、汚名を晴らそうとした。植村は被害者、櫻井は加害者なのだ。ところが櫻井は名誉棄損で訴えられたことが濡れ衣だと言わんばかり。これはおかしい。櫻井は被害者ではなく、加害者なのだから。主客転倒、本末転倒もはなはだしい。
Q 櫻井は、裁判で争点となったことを持ち出して、事実とは違っていることを平気で言っている。たとえば、「植村氏の記事は、それまで一人も実在の人物として特定されていなかった朝鮮人女性の被害者を世に知らしめるものです」(p33、上段)という発言。これも誤りだ。朝鮮人女性の元慰安婦として実名が伝えられた人は、1970年代には沖縄在住の裵奉奇、80年代にはタイ在住の盧寿福がいる。
R 金学順は、韓国在住の韓国人元慰安婦としてはじめて名乗り出て記者会見し、韓国社会に大きなインパクトを与えた。しかし、その前に一人も朝鮮人女性が名乗り出ていなかったと断言するのは誤りだ。金学順の名乗り出だけを過剰に評価することによって植村の記事を狙い撃ちにしようという櫻井のフレームアップだ。
Q 裁判では、植村の記事の前文にある「女子挺身隊の名で戦場に連行され」との表現も重大な争点となった。これについて櫻井は「植村氏は金さんが日本国の法令に基づいて連れて行かれたのではないと知っていながら、戦場に連行されたと書いたのです。しかも金さんはテープで「だまされて慰安婦になった」と語っていたと植村氏は認めています」と言っている(p34、下段)。これも誤りというかミスリードだ。植村は記事本文で「女性の話によると、中国東北部で生まれ、十七歳の時、だまされて慰安婦にされた」と書いている。植村は金学順がテープで語った通りに記事に書いているのに、櫻井が「彼女の言った事実を書かないで」と言うのは、悪質なミスリードだ。
R この「女子挺身隊の名で戦場に連行され」は、櫻井がいちばんこだわっていることで、植村の記事を捏造だと決めつけるための重要な根拠としている。だから、櫻井はしつこく何度も繰り返すのだろう。櫻井は、昨年12月21日に自身のネット番組、言論テレビ「櫻LIVE」でも同じことを語っている(注1)。その番組のフリップには「1.法廷尋問調書「事実でないと知りつつ書いた」」とある。しかし、法廷尋問調書のどこにも「事実でないと知りつつ書いた」などという植村氏の発言はない。裁判所の公式な文書に記述があるかのように偽る悪質なミスリード。櫻井お得意のだましのテクニックだ。
■阿比留記者の脱線転覆
Q 憶測や噂をもとに、ふたりで揃って植村を口汚く揶揄しているのも許せない。
R ひどい人格攻撃がある。自称ジャーナリスト、産経新聞論説委員、という肩書で話すことだろうか。
Q 櫻井が「そもそも植村氏はなぜ捏造記事を書いてしまったのか」と阿比留に問いかけると、阿比留は「本人のみぞ知る、ということを前提に話しますと…」「あくまで憶測ですが」と逃げを打った上で、「日本軍の罪を暴く記事を書けば朝日新聞の論調に合ってスクープの価値が上がり、社内で評価される――そんな安易な発想で捏造に手を染めてしまったのではないか。つまり、スター記者になりたかったのかもしれません」と言っている(p40、下段)。
Q 的外れの批判もある。阿比留は金学順の名乗り出の取材のいきさつについて、「そもそも、植村氏は金氏に会って話を聞いたわけではありません。韓国の反日団体「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」にテープを聞かされ、それを記事にしたのです。この程度の取材で記事を書くとは、記者の常識に照らしても到底理解できません」(p34、上段)と言っている。
R これにも驚くしかない。植村にとって1991年8月の記事の主眼は、挺対協の聞き取り調査に元慰安婦が応じた事実を初報として報じることだったし、直接取材はできず、名前も伏せることが取材の条件だった。そのような制約の多い状況で、植村は証言テープをきちんと聞いて書いた。それまでに挺対協事務局サイドの取材も十分に行っていた。さらにその後、金学順に直接会い、続報として12月にインタビュー記事を出している。だから、「この程度の取材で」という批判は的外れもはなはだしい。
Q あまり知られていないことだが、阿比留はこれまでに2人の国会議員に名誉毀損で訴えられ、2回とも敗訴している。最初は辻元清美議員に対する名誉棄損(2011年、産経新聞紙面)、次は小西洋之議員への名誉毀損(2015年、フェイスブック)で、それぞれ賠償支払い(80万円、110万円)を命じる判決が確定している。どちらも、阿比留が書いたことは事実ではなく、そう信じた理由も認められず、本人への取材もなかった、と裁判所は認定している。
R それでも懲りずにいまも記者稼業を続けている。業界の常識に照らしても、勤務先の産経新聞がいまだに看板記者として遇していることが到底理解できない。
Q いっぽうの櫻井も、同じように植村と支援者を侮辱している。「裁判を傍聴した方なら植村氏の主張が支離滅裂だということが理解できるはずです。しかし、いまだに植村氏の支援者たちは「植村さんは絶対に正しい。櫻井なんかに負けるはずがない」と本気で信じているふしがある」と語っている(p35、下段)。支離滅裂とは、ひどすぎる。裁判で自分の記事の誤りを認めざるを得なくなったのは、櫻井のほうだ。昭和平成ギャグで言えば、「おまいう」だ(注3)。
R 根拠も示さずに、過剰な表現で印象操作をする。これがジャーナリストを自称する人の発言だろうか。私は札幌地裁で13回、札幌高裁で3回の口頭弁論をすべて傍聴したが、植村の支離滅裂な主張を耳にしたことは一度もない。櫻井が何と言おうと植村は捏造をしていないし、裁判所も「植村が捏造記事を書いた」とは一度も認定していない。疑う余地はいまでもまったくない。植村の主張は一貫している。植村の主張のどこが支離滅裂なのか、根拠を示して具体的に説明すべきだ。
Q 櫻井は、植村が裁判に訴えたことについても、難クセをつけている。「植村氏は週刊金曜日の社長を務めています。せっかく自分のメディアを持っているのなら、言論で勝負を挑んでいただきたかった。議論を重ねて真実を追求することは私たち言論人の特権であると同時に、社会への責任です。言論人が司法に正義を決めてもらうのは情けない」(p36、上段)、「植村氏側が札幌を希望した理由の一つに、植村氏はそれほど豊かでないから旅費を賄うのが大変だ、というのもあった、と私は聞かされました。しかし、植村氏は東京や韓国を飛び回って講演や集会を開いています」(p38、中段)。
R 法廷ではなく言論の場で、というのは櫻井の口グセだ。植村が東京だけでなく札幌でも提訴したのは、脅迫や抗議などのバッシングが集中したのは札幌だったからで、提訴を後押ししたのは支援に立ち上がっていた札幌の多くの市民と弁護士たちだった。法廷闘争は邪道だと櫻井は言うが、植村が受けた物心両面の深刻な被害に目をつぶる、無責任で冷たい言い草だ。植村が週刊金曜日の社長になったのは、裁判の途中の2018年秋であり、櫻井の指摘は順序が逆だ。週刊金曜日は植村バッシングと植村裁判をずっと報じ続けている。その報道姿勢は植村が社長になる前から変わっていない。そもそも週刊金曜日は植村の私有物ではなく、リベラルなメディアとして社会にとっても貴重な公器だ。
■自分の誤りをひた隠す櫻井
Q この裁判では、櫻井の取材内容や取材態度も大きな争点になり、その結果、櫻井の取材の杜撰さが明々白々になっている。ところが櫻井は、「植村氏の記事を批判するにあたって、本人に直接取材する必要はありません。署名入りの記事を書き、もしくは実名で論評する以上、それが世に出た時点でいかなる評価も批判も一身に受ける――それが言論人の覚悟というものです」と開き直っている(p38、上段)。たしかに、表現がまともな論評の範囲内であれば、本人の直接取材は必ずしも必要ではないだろう。しかし、「捏造」という究極の表現で決めつけるには、本人に会って、あるいは電話やメールで「捏造」の意図があったかどうかについての言い分を聞き、疑問をぶつけて確認をする、という作業が絶対に必要だ。
R 櫻井は、取材執筆の基本のキ、イロハのイをけろっと否定している。裁判所が櫻井の「相当な理由」を認めて免責したので、強気に転じたのだろう。「真実相当性」という免罪符さえあればこわいものはない、と言わんばかりだ。この対談の発言ぶりにはそんな姿勢が感じられる。植村は一審判決後に、こんな安直な取材が許される風潮が広まりかねない、恐ろしい、と言っていたが、その通りだ。
Q 裁判では櫻井のウソも暴かれた。櫻井は、金学順が日本政府を訴えた裁判の訴状に「書かれていないこと」をひとつの論拠として、植村記事を捏造と決めつけていた。金学順が「14歳で継父に40円で売られた」というくだりだ。札幌地裁の第1回口頭弁論で、植村は櫻井の記述の誤りを指摘し、訂正を求めた。結果、櫻井は誤りを認め、件の月刊WiLLと産経新聞紙上で訂正記事を出している。
R この対談記事では、そのことはひとことも語られていない。また、福島瑞穂議員が語っていない発言を櫻井がでっち上げたという有名なウソ事件も、この裁判の尋問で明かされたが、同じようにノータッチだ(注4)。
Q その一方で、櫻井と阿比留は植村裁判とは何の関係もないことを繰り返し持ち出している。「黒幕の正体」という小見出しの後に、吉見義明・元中央大教授と高木健一弁護士のことが語られていたり、「朝日新聞と国益」の後には、朝日新聞記者だった北畠清泰、松井やよりのことを長々と話題にしている。ネタ元は元朝日記者がワック社から出した「崩壊 朝日新聞」という本だという。
R 北畠、松井は故人であり、発言の真偽や真意を本人に確認することができない。それなのに人格や名誉にかかわることを一方的な引用だけで紹介するのはアンフェア、無責任にすぎる。
Q 阿比留は、対談の最後に「ついに真実(ファクト)が捏造(フェイク)に勝利した。今回の判決は、大きな反撃の一歩となるでしょう」と言っている(p43、下段)。アンフェアで無責任な対談のしめくくりに相応しい迷言だ。
構成・文責=北風三太郎(フリーライター) 顔写真=記事p32、p33より転写
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注1 このネット番組の対談についての櫻井コメントと対談内容
https://www.genron.tv/ch/sRkurR-live/Rrchives/live?id=767
≪櫻井よしこの対談後記≫ 今夜の言論テレビは私の足かけ6年にわたる裁判のお話です。2015年2月に朝日新聞の元記者、植村隆さんに名誉棄損で訴えられました。植村氏の書いた慰安婦報道は捏造であると私が報じたことに対する損害賠償請求でした。植村氏は慰安婦の「金学順」さんが強制連行されたわけではなく、女子挺身隊とは無関係だったと知っていながら、記事では女子挺身隊の名で連行されたと書いたことが法廷の尋問で明らかになりました。金学順さんを強制連行された女性というふうに事実と異なる書き方をしたのですから、これは捏造です。裁判所は地裁も高裁も最高裁もすべてこの点を認めて、裁判は私の完全勝利に終わりました。私の主任代理人の林いづみ弁護士、私と同じように植村氏に訴えられている西岡力氏、ジャーナリストの門田隆将氏らと6年間の裁判を論じました。その議論は自ずと朝日新聞の責任にも及びました。朝日は本当に酷い新聞です。皆それぞれの思いが強いために熱い議論になりました。
≪対談で話された論点≫ 1.林主任弁護士による裁判全体総括 2.初公開!植村法廷陳述調書のやり取り 3.なぜテープを聞いただけで記事を書いたか 4.本当に悪いのは植村上司の北畠清泰記者 5.週刊金曜日は取材もせずに記事を書くのか 6.朝日新聞は目的のために記事を捏造する 7.朝日では“角度”をつけないと記事でない 8.裁判は左翼政治運動の道具 9.慰安婦問題の真実を世界に広げる10.櫻井よしこの「闘争宣言」
注2 坪井記者の「社説余滴」 https://digital.asahi.com/articles/DA3S13188475.html
注3 「おまいう」は「お前が言うか」の意。同意のギャグとして「そんなバナナ」(そんなバカな、の訛り)、「冗談はよしこさん」(冗談はよして、の意)がある。
注4 櫻井のウソ 1996年に横浜市教育委員会が主催した講演会で、櫻井は慰安婦問題について、「福島瑞穂弁護士に、慰安婦問題は、秦郁彦さんの本を読んでもっと勉強しなさいと言った。福島さんは考えとくわ、と言った」と語った。しかし実際にはこのような会話はなく、事実無根の大ウソだったことが後に判明した。櫻井は福島氏に電話で謝罪し、福島は雑誌でその経緯を明らかにした。札幌訴訟の本人尋問(第11回口頭弁論、2018年3月23日)で植村弁護団は、「なかったことを講演で話した。この会話は事実ではないですね」と質した。櫻井は「福島さんには2、3回謝罪しました。反省しています」と、あらためて事実を認めた。