2019年4月16日火曜日

近づく札幌控訴審

札幌訴訟の第2ステージ、控訴審がいよいよ4月25日に始まります。
植村弁護団は、櫻井氏の名誉毀損を免責した一審判決を破棄するように高裁に求め、訴えていきます。高裁での主張の骨子は、
①櫻井氏の「真実相当性」を認めた一審判断は判例や法理論に沿っているか
②櫻井氏が根拠とした証拠資料は合理的で正しいものか
③櫻井氏の取材、調査や確認、裏づけは十分なものだったのか
④櫻井氏が慰安婦を巡る表現を大きく変遷させたのはなぜか
⑤一審判決にある「慰安婦」の定義は正しい歴史認識や人権感覚に欠ける
というものです。
控訴審開始を前に、控訴理由書と同補充書をもとに、あらためて判決の問題点を整理しておきます。

ここがおかしい!地裁判決の問題点

真実相当性■従来の判例を逸脱する判決
名誉毀損免責される要件である「真実相当性」これまでの判例はかなり厳格に判断しており、相当な理由と認めるには、詳細な裏づけ取材を要するのが原則である。じっさいに最高裁判例と下級審判例を見ると、慎重な裏づけ取材がない場合には、情報に一定の信用性があっても真実相当性を否定するなど、極めて厳格に判断されている。
櫻井氏は資料を誤読・曲解し、自身が根拠とする訴状の引用などの間違いを繰り返した。「捏造」と決めつけて書くためには植村氏本人および関係者への取材が必要不可欠だが、櫻井氏は裏づけ取材はおろか取材の申込みすら行っていない。にもかかわらず、判決は櫻井氏の「真実相当性」を肯定した。これは従来の判例理論から大きく逸脱する誤った判断であ

意見・論評■「捏造」は域を逸脱した人身攻撃だ
櫻井氏の表現が、仮に「事実の摘示」(当否の証明が可能な客観的な事実の指摘)ではなく、「意見ないし論評」(主観的な物の方の表明)であっても、「捏造」という表現は植村氏の人格を著しく傷つけ、記事に対する批判を大きく逸脱した人格非難、人格否定というべき内容である。植村氏のジャーナリスト、大学教員としての職業上の信用を失墜させ、社会生活上の基盤をも脅かし、人身攻撃にも及ぶものであり、「表現の自由」により保障される意見ないし論評としての域を逸脱している。

人身売買説■櫻井の根拠資料からも読み取れぬ
櫻井氏は、金学順氏が継父により日本軍人に人身売買された、と主張し、植村記事を「捏造」と決めつけた。しかし櫻井氏が最大の根拠とした資料(ハンギョレ新聞1991年8月15日付、金氏の91年の訴状、「月刊宝石」92年2月号の臼杵敬子論文)からは、人身売買され慰安婦とされたと読むことはできない。金学順氏本人は、人身売買ではなく、日本軍人に強制連行されて慰安婦にさせられたと供述している。日本国内にも金学順氏の供述に沿う報道が多数存在する。
櫻井氏が、金学順氏の供述は事実ではなく、継父による日本軍人への人身売買が事実であることを主張するためには、その確認が必要だ。しかし、金学順氏や挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会)等への取材とその申し込みを一切しておらず、資料・文献調査を実施した形跡もない。つまり、櫻井氏は、継父による人身売買とは異なる事実が記載された資料について、合理的な注意を尽くして調査検討したということはできない。
「金学順氏をだまして慰安婦にしたのは検番の継父、すなわち血のつながりのない男親であり、検番の継父は金学順氏を慰安婦にすることにより日本軍人から金銭を得ようとしていたことをもって人身売買であると信じた」との判決の認定は誤りであり櫻井が真実と信じたことにも相当の理由はない。

櫻井の大ミス■なのに真実相当性を認めた判決!
櫻井氏は、植村記事を「捏造」と決めつけて、「金学順氏が日本政府を提訴した訴状には、十四歳のとき、継父によって四十円で売られたこと、三年後、十七歳のとき、再び継父によって北支の鉄壁鎭という所に連れて行かれて慰安婦にさせられた経緯などが書かれている」としたが、訴状に「継父により日本軍人に人身売買により慰安婦にされた」と読める記載は一切なく、完全な誤りである。
櫻井氏はこの誤りを、産経新聞、「月刊正論」、BSフジ・プライムニュース、「たかじんのそこまで言って委員会」でも繰り返している。このような初歩的な誤りは、訴状を引用する際に最低限行うべき確認を行っていないことの証左である。資料を確認するというジャーナリストとしての基本的動作を怠ったからにほかならず、櫻井氏の過失を基礎付ける重要な事実である。
ところが、判決は、櫻井氏がハンギョレ新聞と臼杵論文も資料としていたことを根拠に、訴状の援用に正確性が欠けても「人身売買されたと信じたこと」に真実相当性を欠くとはいえないとした。援用の正確性が欠けたことを、判決は「齟齬」と表現し、櫻井氏の重大な過失には目をつぶった。櫻井氏が誤りを認め続けた本人尋問を、裁判官はなぜ看過したのだろうか。

櫻井説の変遷■92年当時は「強制徴用」と認識
櫻井氏は、「週刊時事」1992年7月18日号で発表したコラムにおいて、金学順氏らが日本政府を提訴した訴訟について「東京地方裁判所には、元従軍慰安婦だったという韓国人女性らが、補償を求めて訴えを起こした。強制的に旧日本軍に徴用されたという彼女らの生々しい訴えは、人間としても同性としても、心からの同情なしには聞けないものだ」と書いている。
このコラム掲載時点で日本政府を提訴した元慰安婦は金学順氏を含めて3名で、実名による提訴は金学順氏だけだった。また、このコラムで、金学順氏が人身売買により慰安婦になったという認識を一切伝えておらず、むしろ、金学順氏を含む元慰安婦について「売春という行為を戦時下の国策のひとつにして、戦地にまで組織的に女性達を連れていった日本政府の姿勢は、言語道断、恥ずべきである」と指摘している。これらの記載は櫻井氏が金学順氏を含む元慰安婦「強制的に日本軍に徴用され」たとして提訴した、という認識を示すものである。
このように櫻井氏は、植村氏が記事を書いた翌年(1992年)には、金学順氏は「強制的に徴用され」て日本軍によって強制的に従軍慰安婦にさせられたと認識しており、継父によって人身売買されたという認識は有していない。

明らかな誤り■慰安婦を公娼制度の売春婦と認定
 判決は、慰安婦を「太平洋戦争終結前の公娼制度の下で戦地において売春に従事していた女性などの呼称のひとつ」と認定するが、この認定は日本政府の公式見解などに反しており、明らかに誤りである。
被害者の多くは公娼制度とは無関係に日本軍や軍の要請を受けた業者によって、暴力や詐欺・人身売買などの方法で徴集され、軍の管理下で慰安所で日本軍将兵に性暴力を受けた点に特徴がある。判決の認定は「河野談話」など日本政府の公式見解や国連の公式文書などに反するとともに、慰安婦の人権侵害の本質を全く無視している。

強制連行説■あり得ない櫻井の誤読
櫻井氏は、金学順氏が慰安婦として初めて名乗り出る以前に、「挺身隊の名で」との表現が、日本や韓国の報道機関などが日本軍による慰安婦の強制連行を報じる際に使用してきた常套句である、と陳述書で述べている。また、本人尋問においても、「挺身隊」という言葉を「慰安婦」を意味する言葉として使用することがあることを認めている。
櫻井氏が、「女子挺身隊の名で戦場に連行され」という植村氏の記事の記述を女子挺身勤労令に規定する「女子挺身隊」と誤読することはありえない。したがって、「植村は、何の関係もない女子挺身隊を結びつけ、女子挺身隊の名で金学順氏が日本軍によって戦場に強制連行されたものと報じたと信じる」ことに相当の理由はない。
櫻井氏は執筆にあたって、植村氏本人への取材が必要不可欠であり、なおかつ取材が可能であったにも関わらず、取材どころかその申込みさえ行っていない。このことからも、「植村が意図的に慰安婦と挺身隊、女子挺身隊とを結び付けて報じたと信じる」ことに相当の理由がないことは明らかである。

縁戚便宜説■単なる憶測を「相当」と判決が認定
判決は、植村氏の義母が遺族会の常任理事であり、植村氏の記事が報じられた4カ月後に金学順氏を含む遺族会会員が訴訟提起したことを根拠として、「事実と異なる記事を敢えて執筆した」と櫻井氏が信じてもやむを得ないとの結論を導いている。しかし、この根拠は、単なる憶測に過ぎない。「捏造」という記者としての重大な職業倫理違反を決めつけるための、客観的で信頼できる根拠と評価することはできない。
植村氏が義母や遺族会の活動を有利にするために記事を書いたのであれば、縁戚関係を利用して特権的に取材源にアクセスして報道したり、継続的に義母の活動等を有利にするための記事を書いたはずである。ところが、植村氏は金学順氏のインタビューや実名報道ができなかった。情報を入手していれば当然参加しているはずの共同記者会見にも参加できなかった。
このように植村氏の取材状況、報道状況に鑑みても、縁戚関係を利用して義母や遺族会の訴訟を有利にする記事を執筆したと評価ができないことは明らかである。
櫻井氏はこの点についても必要な取材を行わず、根拠になり得ない事実をもとに、「植村が事実と異なる記事を敢えて書いた」と信じた。「そう信じたことに相当の理由がある」と認定した判決は誤りである。

一般読者が基準■櫻井はジャーナリストなのか
 判決は植村記事について「一般読者の普通の注意と読み方を基準」として判断するが、記事内容が事実と異なると主張する櫻井氏は、一般読者ではなく慰安婦問題を精力的に発信するジャーナリストのはずだ。その櫻井氏が23年前の植村記事を「捏造記事」とした2014年に、専門的立場から記事をどう読んだのか。
 金学順氏が慰安婦になったのは1939年。女子挺身勤労令が発効する5年前である。女子挺身勤労令で慰安婦になったのではないことを櫻井氏は当然承知していただろうし、金学順氏のことが報道される以前から「女子挺身隊」という言葉が慰安婦を意味すると認識していた。植村記事の「女子挺身隊の名で戦場に連行」という表記を、女子挺身勤労令に基づく「女子挺身隊」と読み取ることはあり得ない。
 判決は、櫻井氏がジャーナリストであることを無視している。客観的に信頼できる資料や根拠に基づき、取材を尽くし、言論に責任を負うジャーナリストが、一般読者の普通の注意と読み方で足りるとすることはできない。裏付けの努力を怠り、可能で、容易なはずの取材、資料の調査検討もしない櫻井氏は、限りなく一般読者に近い「ジャーナリスト」である。

杜撰な取材■「基本のキ」をないがしろに
 判決は、「捏造記事」という表現が名誉棄損にあたると認めたが、櫻井氏が摘示した事実を「真実と信じたことに相当の理由がある」として植村氏の訴えを退けた。
 捏造とする論拠は、慰安婦だったと記者会見した金学順氏を報じた一部の韓国紙、日本政府を訴えた訴状、それに彼女との面談をもとにまとめた論文。金学順氏は強制連行された慰安婦ではなく、人身売買から売春婦となった女性という論理だ。櫻井氏が「金学順氏は継父によって人身売買された」と信じたとしている。
 しかし「日本軍人に強制連行され慰安婦にさせられた」と金学順氏は供述している。はっきりしているのは櫻井氏が、自説を裏付ける取材、資料の調査検討をしていないことだ。
 金学順氏の供述(日本軍人が連行)に沿った日本の報道は多々あるが、その内容を確かめようとしていない。植村記事を捏造というのであれば、植村本人への取材は不可欠だが、その申し入れもしていない。金学順氏から聞き取り調査した韓国挺身隊問題対策協議会に対しても同様だ。
 慰安婦問題で発信を続ける著名な櫻井氏であれば、容易で、可能な取材であり調査だ。立場が異なる相手に対する取材は、ジャーナリズムの世界では「基本のキ」、必須なのだ。

公正な論評とは■人身攻撃は免責されない
櫻井氏の論評は、真実ではない事実や合理的関連性のない事実を前提にし、かつ、植村氏が意図的に虚偽の記事をでっちあげたとする、植村氏の内心に結びつく事実を何ら提示していないものである。このような論評は、人身攻撃に等しく、意見ないし論評の域を逸脱したものであるから、公正な論評の法理によっては免責されない。

公共性と公益性■一私人の適格性には及ばない
櫻井氏は、植村氏が私立大学に非常勤講師として勤務していることをとらえ、教員としての適格性を問題にした。当時、植村氏は非常勤講師として国際交流講義を担当する一私人にすぎなかった。学内で大学運営に直接的に携わるものでもなく、学内や社会に対して権力や権限を行使する立場にもなかった。植村氏の大学教員としての適格性に関する事実は、多数一般の利害に関係せず、多数一般が関心を寄せることが正当とも認められない。したがって、櫻井氏が書いた大学教員としての適格性に関する事実は、「公共の利害に関する事実」ではない。
判決は、櫻井氏が「慰安婦問題に関する朝日新聞の報道姿勢」を批判することに「公益目的」を認めた。仮に櫻井氏が言うように、朝日新聞の報道姿勢に対する批判を本件各記事執筆の目的としたとしても、その目的の下に、記事を執筆してから23年が経過し、既に朝日新聞を退職した一私人である植村氏に対し、大学教員の適格性がないなどと論難することにまで目的の公益性を認めることは相当ではない。

最重要証言■不採用は明白な経験則違反
植村氏と同時期に、ほぼ同内容の記事を書いた喜多義憲氏(元北海道新聞ソウル特派員)の証人尋問は、植村裁判の最重要なポイントであるといえる、1991年当時、植村氏が金学順氏の証言テープに基づいて「女子挺身隊の名で戦場に連行された」と報道したことが、「捏造」ではあり得ないことを示す、最も重要な証言であった。この証言部分につき、その信憑性について何らの説明もしないまま採用せず、いわば無価値なものとして扱っているのであって、そこには、事実認定における明白な経験則違反がある。
                      
※まとめ文責=H.N、H.H
「植村裁判NEWS」2019春号より転載