国際社会の理解とかけ離れた植村裁判の着地点
■野中善政・宮崎大学名誉教授の考察
元宮崎大学教授の野中善政氏が、アジア・言論研究会のオンラインジャーナル「言論の研究と教育」の最新号(2020、Vol3)に、植村裁判についての論考を投稿しています。「植村裁判の東京地裁判決に見られる論理破綻」というタイトルの32ページの論考です。
野中氏は、植村さんが激しいバッシングを浴びていたころから関心を寄せ、支援を続けてきた科学者です。植村裁判についての考えを公表するのはこれが初めてだといいます。専門は気象学(大気物理学)であり、法律の専門家ではありませんが、この論考からは、複雑で難解な判決文と膨大な関連資料を徹底的に読み込んだことが、うかがわれます。ニュートラルで理詰めに徹する姿勢も伝わってきます
この論考で野中氏は、まず、植村さんが受けたバッシングへの最小限の救済措置の求めがなぜ聞き届けられないか、と司法の判断に疑問を投げかけます。そして、東京訴訟(被告=西岡力氏および文藝春秋)の判決文を詳細に分析します。
分析は主に東京地裁判決について展開します。その問題点としてあげられるのは、①摘示事実の争点設定に問題がある(第3節)、②被告側主張を補強するために朝日新聞社第三者委員会の報告書を7カ所にもわたって援用している(第5節)、③真実相当性と真実性の認定は誘導尋問スキームで審理を進めるというトリックによってもたらされた(第6節)、ということです。
野中氏はそう指摘した上で、判決が被告を免責したことについて、「裁判所が訴訟指揮すべきは、(バッシング誘発の)因果関係の究明であり、市民感覚では西岡氏らの結果責任が問われてしかるべきである」と述べ、さらに、「地裁判決は官僚的な建前に終始しており、(バッシング被害への)想像力欠如と言うほかない」と批判しています。
このような判決分析のほか、西岡・櫻井氏らの真のねらい、植村さんの記事の評価、判決が国際社会に与える影響、についても意見が述べられています。要約します。
▽西岡・櫻井氏らは「河野談話」見直しに向かって安倍内閣を後押しする勢力の急先鋒であり、2014年に植村記事への批判を集中させ、いくつかの意見が朝日新聞第三者委員会報告書に採り入れられた。西岡・櫻井氏らが北海道新聞の喜多記事ではなく朝日新聞の植村記事を攻撃目標としたのは「慰安婦報道=吉田証言関連記事=植村捏造記事⇒慰安婦徴募の強制性否定」のような構図を描いたからである。つまり河野談話の取り消し、見直しを内閣に求めるには「従軍慰安婦問題」自体が存在しない、捏造である、との世論を喚起する必要があった。
▽植村さんの記事は、その後に河野談話が出され(1993年)、米連邦議会下院が対日謝罪要求決議をするなど(2007年)、国際社会の流れを予告した報道の一端を担った。
▽わが国が国際社会の勧告を受け入れ、女性の人権擁護の理念で国際社会と協調する方向に歩むことが、西岡氏らが主張するように国益に反するとはとても思えない。植村裁判の判決はなんらかの力学で大局を見失い、国際社会の理解とかけ離れた地点に着地しつつあるのではないか。
論考の構成は次の通りです。許可を得て、◎を以下に転載します。
第1節 はじめに
第2節 植村裁判の概要と経過
◎第3節 植村裁判東京地裁判決の構造と問題点
第4節 植村裁判東京地裁判決における最終判定への道筋
◎第5節 第三者委員会報告書と植村裁判東京地裁判決
第6節 植村裁判東京地裁判決のトリック
◎第7節 バッシングを誘発する行為を免責する裁判所の論理
◎第8節 まとめ
◎著者コメント 本論文執筆の経緯
編注=転載には一部に略したところがあります。判決文のページ表記、資料・文献の出典表記も略しました。
野中善政(のなか・よしまさ)氏は、宮崎市在住、宮崎大学名誉教授。1947年生まれ、73年東北大大学院理学研究科修士課程修了、75年宮崎大学教育学部助手、2013年宮崎大学教育文化学部(教授)を退官。専門、大気物理学。
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3. 植村裁判東京地裁判決の構造と問題点 (一部前略、中略あり)
判決では被告西岡による原告植村の社会的評価を低下させる行為(被告による植村記事への批判ないし批難)の類型が「裁判所認定摘示事実」(以下、「認定摘示事実」と言う。)として次の三つに整理されている。
(1) 認定摘示事実1「原告が、金学順のキーセンに身売りされたとの経歴を認識しながらあえて記事にしなかったという意味において、意図的に事実と異なる記事を書いた。」
(2) 認定摘示事実2「原告が、義母の裁判を有利にするために意図的に事実と異なる記事を書いた。」
(3) 認定摘示事実3「原告が、意図的に、金学順が女子挺身隊として日本軍によって戦場に強制連行されたとの、事実と異なる記事を書いた。」
以上により裁判所は「一般の読者の普通の注意と読み方を基準としてその意味内容を解釈し」、認定摘示事実1~3の重要部分について「それが真実であることの証明があるとき」に、もしくは当該行為者において「それが真実と信ずるに足る相当の理由があれば」、当該行為者、被告の故意又は過失が否定されるとの判断基準を示したことになる。
従って「認定摘示事実1~3」が適切に設定されているか否かは、判決の論旨全体の明晰さに決定的な影響を与えることになる。「認定摘示事実」の設定に含まれる問題点を以下に述べる。
(ア) 原告・被告の「事実」への視点がもともと異なること
原告は原告の視点での「事実」に即して記事を書いたと主張し、被告は被告の視点での「事実」に照らし、植村記事に矛盾する記述があるのは原告が意図的に「事実」と異なることを書いたからだと主張する。従って、この場合の「事実」とは何かについて、前もって調整されていなければ、「摘示事実」の設定として意味をなさず、その真偽の判定はもとより不可能である。
例えば、原告の記事がもともとは韓国における「従軍慰安婦」問題追求の報道であるとの視点で、「裁判所認定事実」を
「植村記事Aは、ニュース源を明記した上で、「従軍慰安婦」問題追求における韓国での新たな進展-元「従軍慰安婦」が初めて名乗り出た-を報道した署名入り記事である。(植村記事Aは掲載後に提起された韓国の元「従軍慰安婦」らによる日本国を被告とする平成3年訴訟(裁判所による略称)とその主張を正しく予告した。)」
とすれば、被告らによる植村記事への摘示表現を整理した「認定摘示事実1~3」のちぐはぐさが明確になる。反対に被告らが想定する「事実」を「裁判所認定事実」とした場合、「認定摘示事実1~3」の「真実性」ないしは「真実相当性」が裁判所の認定によるものである以上、改めて考察されるまでもなく自動的に導かれてしまうことにもなる。
(イ)「従軍慰安婦」徴集手段における「連行」と「だまされる」の区別は国際法上無意味であること
植村記事Aは前文と本文から成り、金学順(記事Aでは匿名)が17歳の時、結果として旧日本軍「慰安所」に収容される経緯について、前文では「連行」、本文では「だまされて」と記載されている。「従軍慰安婦」徴集方法における「連行(強制)」と「だまされる(甘言、詐欺、勧誘、人身売買)」はいずれも日本が1925年に批准した「婦人・児童の売買を禁止する国際条約」に違反することに違いはない。金学順の証言(植村記事A、平成3年訴訟「原告らの経歴」)のとおりならば、戦時中とは言え、朝鮮、中国東北部を舞台として、なぜこのようなことがまかり通っていたのか、その理由について吉見は、
「この国際条約には、これを植民地などに適用しなくてもよいとの規定があった。植民地などに関して、1910年条約は、実施するときは文書をもって通告すると定め(第11条)、1921年条約は、適用除外する場合は宣言することができる(第14条)としていた。日本政府はこの規定を利用して、この条約を朝鮮・台湾などには適用しないこととしたのである。つまり、明白に異なった取り扱いを行っていたのであった。」
と説明している。
植村記事Aが1991年に朝日新聞に掲載された以降、第一節に述べたように、日本政府は1993年、「河野談話」を発表し、慰安婦が甘言、強圧による等、本人の意思に反して徴集された事例が数多くあったことを認めた。
またアメリカ連邦議会下院は2007年、旧日本軍及び政府が公娼制度の延長として策定した従軍慰安婦制度を「20世紀における最大の人身取引事件のひとつ」と認定し、日本に対して元従軍慰安婦への謝罪を勧告する121号決議]を採択した。これについで、オランダ国会下院、カナダ国会下院、ヨーロッパ議会、韓国国会、台湾立法院も日本政府に対し、元慰安婦への謝罪なり賠償を勧告する決議を採択した]。いずれの決議・声明も旧日本軍及び政府がその支配地域の女性たちを「性奴隷」の表現に象徴される悲惨な状態に追い込み、「複合的に女性の人権を侵害した」[8]国際法違反(戦争犯罪)の責任を追求しているのであり、旧日本軍及び政府が従軍慰安婦を徴集した個別手段の違法性と責任の度合いを問題にしているわけではない。
被告西岡らが植村記事への批難を集中させた2014年当時既に国際社会は旧日本軍の慰安所・慰安婦制度そのものを国際法違反(戦争犯罪)と明確に認識しており、慰安婦の招集方法が「連行(強制)」だったのか、あるいは仲介者を入れ、結果的に女性たちを「だました(甘言・詐欺・勧誘・人身売買)」のか、歴史学者の関心は別として、それらの区分は国際社会にとって第一義的な関心事ではなかった。
金学順(当時17歳)の口から「連行」という言葉自体は発せられていないが、「武力で私をそのまま奪われた」とあり、少なくとも金学順が慰安所に連れ去られる時点では慰安婦になることを承諾しないまま(21歳以下の場合は承諾の有無に関わらず国際法違反)、日本軍に「強制連行」されたことが示唆されている。
また、旧日本政府及び旧日本軍が軍隊慰安婦の徴集に組織的に関与したとする主張とともに金学順を含む三名の元慰安婦の経歴を添えた「平成3年訴訟」訴状に鑑みれば、原告が、当時の状況認識の下で、金学順が日本軍慰安所に収容された経緯について「連行」と「だまされて」を記事に併記する必然性は十分あったことが窺える。元慰安婦の証言テープを聴取した新聞記者が、資料提供に応じた団体の主張も考慮し、その証言をどのように表現するか、記者の個性が反映されるのは自然であり、植村記事Aが署名入りの記事である由縁である。従って記事を書いた原告の当時の認識を詳細に問うことなく、形式的二分法によって「認定摘示事実3」の真偽を判断することはもとよりできない。
(ウ) 記事作成において記載事項が取捨選択されたこと
原告は一次情報の証言テープに基づいて記事を書いた。(テープが完全な形で残っていないため、控訴審判決では一審判決を覆す物証として採用されなかった。)原告は、(a)金学順氏がキーセンの経歴についてテープの中で証言していなかったことが原告の記事に金学順氏のキーセンの経歴を記載しなかった理由であると証言している。また原告は、仮に他の情報によって金学順氏のキーセンの経歴を知っていたとしても、(b)経歴を記載する必要があるとは考えなかったと証言している。仮に証言(b)を採用すれば、「認定摘示事実1」にある「認識しながらあえて記事にしなかった」ことは形式上真だが、それは「韓国で初めて元慰安婦が名乗り出た」というニュースの意味について「意図的に新聞読者をミスリードするため」と断定する理由はなく、実務的に限られた字数の記事に「記載する情報を取捨選択した」ためと解することは可能であり、自然である。前記(イ)と同じく原告の当時の認識を詳細に問うことなく、形式的二分法によって「認定摘示事実1」の真偽を判断することはもとよりできない。
(エ)韓国で「女子挺身隊」が「従軍慰安婦」と同じ意味で使われていたのはなぜか
被告西岡が植村記事Aについて最も強く批判したのはその前文であり、地裁判決25頁に次のように記されている。
「被告西岡は、平成9年以降、従軍慰安婦問題についての論考を雑誌において複数発表し、その中で原告記事Aについて批判した。具体的には、被告西岡は、雑誌「諸君!」平成9年5月号に掲載された「「慰安婦問題」誰も誤報を訂正しない」と題する論考では、原告記事Aの「「女子挺身隊の名」で戦場に連行され」とのリード部分について、「まったくのウソを大きく報じた責任は重大である。」と批判した。」
地裁判決15~16頁の記述によれば、もともと「女子挺身隊」とは、国家総動員法のうち女子挺身勤労令により、国家総動員法5条が規定する「総動員業務」について工場などで労働に従事する女性たちのことであり、法令上「従軍慰安婦」とまったく異なる勤労奉仕団である。しかし、韓国においては、女子挺身隊又は挺身隊と従軍慰安婦が混同して理解されており、朝鮮人女性が女子挺身隊又は挺身隊の名で従軍慰安婦として動員された旨報じる新聞記事が多数あった。また1991年当時の日本国内の報道においても、「日中戦争から太平洋戦争にかけて「女子挺身隊」の名で連行され日本兵士相手に売春を強いられたという朝鮮人従軍慰安婦問題の真相を解明し・・・(略)・・・韓国の挺身隊問題対策協議会」(平成3年8月24日付読売新聞記事)などの表現で韓国の元従軍慰安婦対策組織が紹介されていた。韓国で挺身隊と従軍慰安婦が混同されていた理由について「平成3年訴訟」の訴状でも次のように説明されている。
「(略)・・・現在の韓国では、一般に「挺身隊」とは、軍慰安婦を指す。植民地朝鮮においても、軍需工場等に動員される「女子勤労挺身隊」が存在したが、「挺身隊」の名の下に軍隊慰安婦の狩り集めが行われたことから、「挺身隊」すなわち軍隊慰安婦との現在の韓国における認識が生じたのである。・・・(略)」
吉見は「従軍慰安婦」(岩波新書)で太平洋戦争の末期、1944年当時の朝鮮の状況について次のように記している。
「(略)・・・そこで四四年、総督府は、「女子遊休労力の積極的活用」という名目で、女性の動員をおこなうこととし、新規学校卒業者と満14歳以上の未婚者の全面的動員体制を確立しようとした。このようななかで、つぎのような状況が出現したと内務省は述べている。・・・(略)・・・
一四歳以上の未婚の女性は全て動員されるだけでなく、慰安婦にされるという噂が、四四年中に深く広がっていたことがわかる。・・・(略)・・・
しかし彼女はビルマのヤンゴンに連れていかれる。このように女子挺身隊に入れられ、慰安婦にされるという噂が広まるなかで、貧しい家庭の未婚の少女たちは、挺身隊に行くよりは就職した方がましだと考える場合があった。このような深刻な状況の中で詐欺にあって慰安婦にされたのだった。」
「女子挺身隊」の名で連行なり、勧誘され、慰安婦にされるという噂が戦時の朝鮮で広まっていたことは否定できず、「女子挺身隊」が戦後も長く朝鮮人の記憶にあったのは間違いないだろう。
原告植村は、金学順が本人は挺身隊であったと証言したと述べており、韓国紙の記事によれば、このことは正しいが、他方、被告西岡は、植村記事Aの前文を「まったくのウソ」と批難する根拠として、韓国紙の記事によれば、金学順が「女子挺身隊の名で連行された」とは一切証言していないと、受けとめられるからだと述べている。しかし、それだけの理由が、「意図的に事実と異なることを書いた-捏造」と植村記事Aを批難するほどの根拠となり得るのだろうか、極めて疑問である。並行して進められたもう一つの裁判の被告櫻井も、植村記事Aの前文に対し、被告西岡とまったく同様な批難を繰り返してきたが、北海道新聞・喜多義憲が1991年に金学順に単独インタビューして書かれた記事の前文
「「戦前、女子挺(てい)身隊の美名のもとに従軍慰安婦として戦地で日本軍将兵たちに凌辱されたソウルに住む韓国人女性は十四日、韓国挺身隊問題対策協議会(本部・ソウル市中区、尹貞玉・共同代表)に名乗り出、北海道新聞の単独インタビューに応じた。・・・(略)」
と、植村記事Aの前文を比較した場合、なぜ被告西岡・櫻井が喜多記事[3]を問題とせず、植村記事Aだけを批難するのか、判然としないのは確かである。
櫻井氏は外国特派員協会での記者会見(札幌地裁判決後の2018年11月)においてこの点を問われ、その理由について「植村記事Aには「女子挺身隊の名で連行」、北海道新聞には「女子挺身隊の美名のもとに凌辱」と記されている。「連行」が問題であり、「凌辱」には問題がない。」と、いささか滑稽な説明をしている。正解はおそらく次のようなものであろう。
2012年秋頃に、第二次安倍内閣が誕生した場合、「河野談話」見なおしの動きが伝えられ、朝日新聞は、安倍内閣が「吉田証言」と「河野談話」との関連を問題にするかも知れないと予測し、改めて吉田証言の再検証に取りかかった[9]。その結果、吉田証言が虚偽であることが明確になり、2014年10月に慰安婦報道第三者委員会が組織され、慰安婦報道の検証が委員会に委託された。第三者委員会の調査の対象には吉田証言関連記事と同時に植村記事A、Bが含まれていたが、被告西岡・櫻井らは「河野談話」見直しに向かって安倍内閣を後押しする勢力の急先鋒であり、第三者委報告書が公表される2014年に植村記事への批判を集中させ、いくつかの意見が報告書に採り入れられた。被告西岡・櫻井らが北海道新聞の喜多記事ではなく朝日新聞の植村記事を攻撃目標とした理由は以上の経緯から明らかであり、
慰安婦報道=吉田証言関連記事=植村捏造記事⇒慰安婦徴募の強制性否定
のような構図を描いたからである。つまり河野談話の取り消し、少なくとも見直しを内閣に求めるには「従軍慰安婦問題」自体が存在しない-捏造であるとの世論を喚起する必要があった。
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5 第三者委員会報告書と植村裁判東京地裁判決 (一部後略あり)
第三者委報告書は植村裁判の東京地裁判決に証拠として採用され、判決に大きな影響を与えたが、植村記者と記事A、Bに関する報告書の記述は次の5点(筆者の要約による)である。
(1) 植村は韓国の取材経験から、朝鮮で女性が慰安婦とされた経緯について、「強制連行」されたという話しは聞いていなかった。
(2) 植村がその取材経緯に関して個人的な縁戚関係を利用して特権的に情報にしたなどの疑義を指摘されるところであるが、そのような事実は認められない。植村が記事Aを書くことについて特に有利な立場にあったとは考えられない。
(3) 植村は、記事Aで取り上げる女性は「だまされた」事例であることをテープ聴取により明確に理解していたにもかかわらず、記事A前文に「『女子挺身隊』の名で連行」と記載したことは、読者に強制的な事案であるとのイメージを与える点で安易かつ不用意であった。記事本文の「だまされた」と前文の「連行」は社会通念あるいは日常の用語法からは両立しない。
(4) 植村は、記事Bを書いた時点で、金学順がキーセン学校に通っていたことを承知したはずだから、キーセン学校のことを書かなかったことにより、事案の全体像を読者に伝えなかった可能性はある。植村の「キーセン」イコール慰安婦ではないとする主張は首肯できるが、読者の判断に委ねるべきであった。
(5) 植村は済州島に赴いて吉田証言に出てくる事実の裏付けとなる証人の有無などの調査を実施した。植村は本社に「いわゆる人狩りのような行為があったという証言は出てこなかった」とのメモを提出した。
さらに強制連行の「強制性」について第三者委報告書は次のような意見(要約は筆者による)を述べている。
(6) この報告書において「強制性」について定義付けをしたり、慰安婦の制度の「強制性」を論ずることは、当委員会の任務の範囲を超えるものである。
(7) 朝日新聞は当初から一貫して「広義の強制性」を問題にしてきたとはいえない。その朝日新聞社が「強制性」について「狭義の強制性」に限定する考え方を他人事のように批判し、「河野談話」に依拠して「広義の強制性」の存在を強調する朝日新聞の論調は、のちの批判にあるとおり、「議論のすりかえ」である。
第三者委報告書の意見(1)~(7)が各証拠を補強する形で用いられ、地裁判決に影響を与えたと思われる箇所は次のとおりである。(編注=「 」は判決文。頁略)
意見(1)、(3)⇒「原告記事Aの本文中には、金学順が従軍慰安婦となった経緯について、確かに「だまされて慰安婦にされた」との記載があるものの、金学順をだました主体については記載がないことからすれば、原告記事Aは、金学順を従軍慰安婦として戦場に連行した主体について、専ら日本軍(又は日本の政府関係機関)を想起させるものといえる。」
意見(2)⇒「西岡論文B①の記述は、原告が義母の縁故を利用して原告記事Aを書いたとの事実を摘示するもの解されるが、上記②で述べたとおり、同事実は原告の社会的評価を低下させるものとは認められない。」
意見(3)、(4)⇒「上記のような各記載があることからすると、被告西岡が、①原告も、原告各記事の執筆当時、金学順の上記経歴を認識していたと考えたこと、そのため、②原告が、上記経歴を認識していたにもかかわらず、原告各記事に上記経歴を記載しなかったものと考えて、③原告が、各記事の読者に対して、金学順が日本軍に強制連行されたとの印象を与えるために、あえて上記経歴を記載しなかったものと考えたことのいずれについても、推論として一定の合理性があると認められる。」
意見(5)⇒「西岡論文A③は、原告記事Aの内容について、金学順を吉田供述のような強制連行の被害者として紹介するものだとの意見ないし論評を表明するものと解されるが、このような意見ないし論評が原告の社会的評価を低下させるものとは認められない。」
第三者委報告書の意見(2)に対応する地裁判決の箇所は、被告西岡は「原告が義母の縁故を利用して記事Aを書いた」と主張するが、その主張は原告の社会的評価を低下させる(名誉を毀損する)ものではないので「認定摘示事実」からは除外するというものである。しかし意見(2)は「原告が縁故を利用して記事Aを書いたとは認められない」というものであり、地裁判決が「第三者委報告書」を証拠として重視するのであれば、むしろ「認定摘示事実」に残し、当該「認定摘示事実」は否定されるとの認定がなされなければならない。第三者委報告書が証拠としてつまみ食いされた感がある。同様な「認定摘示事実」の恣意的選択は高裁判決にも登場する。
「控訴人は、西岡論文C③は「地区の仕事をしている人」自体が控訴人の創作である旨を指摘したのであり、この点も摘示事実として認定されるべきであると主張するが、結局のところ、権力による強制連行との前提にとって都合の悪い内容を記事にしなかったという本質においては共通であり、上記主張を踏まえても前記認定判断を左右するに足りない。」
図1 認定摘示事実選択の効果 マイナス評価になりそうな[✖摘示事実4]を予め除外すると,[〇摘示事実1~3]の全体評価は常にプラス評価,すなわち常に真実相当性が証明される段取りができる。
高裁判決の趣旨は、西岡論文C③を別個に「認定摘示事実n」に認定すると、原告の的確な反論があり、「認定摘示事実1」(原告は権力による強制連行との前提にとって都合の悪い内容を記事にしなかった)の正当性を減殺する要素となるので、摘示事実1に摘示事実nを含めてしまうというものである。被告西岡の主張の正当性を裁判所が「分割払い」で判断することになり、原告にとっては不当な訴訟指揮であろう。
意見(7)⇒「原告は、原告記事Aを執筆した当時、日本軍が従軍慰安婦を戦場に強制連行したと報道するのとしないのとでは、報道の内容やその位置づけが変わりえることを十分に認識していたものといえる。」、「原告作成の陳述書(甲115)には、原告記事Aの「連行」の文言は、「強制」の語がついていないから「強制連行」を意味しない旨の記載があるが、「連行」の一般的な意義・用法に照らし、「連行」と「強制連行」との間に有意な意味の違いがあるとは認められないから、上記a及びbの認定判断は左右されない。」
原告が記事Aを書いた1991年当時も朝日新聞は「吉田証言関連記事」を掲載し続け、慰安婦の強制連行説に傾いていた。原告記事Aもこの説に基づいて書かれたはずだから、今更、原告が記事Aの「連行」を「広義の強制連行」と言い換えるのは認められないというものである。
5-2評価
(前略)
何を以て「一般の読者」とするかは、慰安婦問題について、国内世論が「リベラル派」と「保守派」に割れている状況では難しいところである。さしずめ、リベラル派は原告植村隆や原告弁護団と「植村裁判を支える市民の会」であり、保守派は植村裁判の被告西岡力氏や櫻井よしこ氏らである。おおまかに言えば、保守派は、旧日本軍の従軍慰安婦・慰安所制度は第二次大戦以前の「公娼制」(これ自体国際法の観点から極めて疑わしいのだが)の延長、軍事的編成[10]であり、当時の国際法の枠内にあるという立場に立ち註[2]、元慰安婦に対する謝罪・補償は本来、必要がないと考える。従軍慰安婦の徴募が強制連行だったのか、それとも民間業者が仲介する周旋や斡旋だったのか、保守派が徴募方法の細部に徹底的に拘るのはそのためである。他方、リベラル派は、民間業者が介在したにせよ、旧日本軍・政府の計画的・主体的関与[8](慰安所の設置、監督・統制、業者の選定)が従軍慰安婦制度の本質であり、国際法違反(戦争犯罪)であるとの立場に立っている。そして問題解決のためには日本政府が法的・道義的責任を認めて被害を受けた女性に謝罪と補償をすること、歴史研究・教育を通じて再発防止措置をとることが必要であると考える。
以上の事情を考慮し、「一般の読者」とは植村裁判の原告と被告の中間に立つ人々だが、地裁判決は「一般の読者」の読み方を無難に「第三者委報告書」に求めたと考えるべきだろう。 しかし「第三者委報告書」が国内的には「一般の読者」を代表したとしても、果たして国際的に「一般の読者」の代表たり得るかは不明である。
(後略)
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7. バッシングの誘発を免責する裁判所の論理 (全文)
原告植村は、一審の最終意見陳述で、公募で採用され、新聞社退職後に教授に就任予定だった大学に、被告西岡らの記事によって煽動されたと見られる不特定多数からの、「なぜ捏造記者を雇うのか?」といった脅迫状が舞い込み就職を断念せざるを得なくなったこと、そればかりか、家族への危害をほのめかす電話や脅迫状が自宅に舞い込んだと語った。
さらに植村氏は、1991年当時、他の日本の新聞記者が書いた記事と同じような記事を書いただけであり、それから23年経過して、その中の一人が「捏造」記者とラベルを貼られ、ことさらバッシングを受けた経緯に疑問を呈し、政治状況を見計らった特定グループの共謀が背景にあったことを暗に語っている。
西岡氏らが多数の読者を獲得することを第一目標とする雑誌社の協力の下で学者・言論人として度を越した「捏造」表現を執拗に繰り返して植村氏の名誉を毀損し続けたこと、それは単なる名誉棄損ではない。植村論難の最終段階では当該雑誌社記者の挑発的記事が掲載され、その記事に西岡氏が「(植村記事は)捏造記事と言っても過言ではありません。」とのコメントを寄せ、それをきっかけに不特定多数による植村氏へのバッシングが激増した。そうした因果関係を、事件の経緯、脅迫状の内容から特定することは可能である。裁判所が訴訟指揮すべきは、その因果関係の究明であり、市民感覚では西岡氏らの結果責任が問われて然るべきである。
しかしながら植村氏の最終意見陳述を受けた地裁判決は植村氏が被った現実の被害を全く顧みない内容となった。
植村弁護団は、地裁判決が西岡氏の植村氏に対する名誉棄損を免責したことについて、声明の中で次のように述べている。
「(略)・・・相当性の抗弁により免責を認めるためには、その報道された事実を基礎づける確実な根拠・資料が必要であるというのが確立した判例である。本件判決は、そのような根拠・資料がなく、とりわけ、植村氏が嘘を嘘と知りながらあえて書いたか否か、本人の認識について全く取材せず、「捏造」という強い表現を用いたことを免責しており、従来の判例基準から大きく逸脱したものである。・・・(略)」
植村弁護団の評価によれば、地裁判決が認定した西岡氏の捏造表現の根拠は極めて不十分であり、従来の判例基準を逸脱したものである。
では西岡氏の捏造表現のいかなる公益性によって、植村氏に対する西岡氏の名誉棄損が免責されたのだろうか。地裁判決は西岡氏の文春記事について次のように認定した。
「従軍慰安婦問題は2014年当時においても国際的に重要な問題であり、大学の教員を誰が務めるかは公共の利害に関わる事柄であった。文春記事の読者の一部が、大学に対し、原告植村を雇用することについて抗議したことが認められるが、被告西岡の文春記事自体は大学への抗議を煽動するものとは認められない。」(要約は筆者による。)
地裁判決は、官僚的な建前に終始しており、植村氏に対する西岡氏の重大な名誉棄損を免責するに値する公益性の所在を、他人事のように、「大学教育」という抽象的な場に押し込んでいる。現実は、抽象的な「大学教育」の問題ではなく、切実な雇用と経営判断の問題であった。大学経営者は、植村氏が大学に提出した資料を手にすることなく、従軍慰安婦問題の国際的重要性とは全く無関係に、植村氏を雇用することで予想される混乱を避けることを第一として、植村氏との雇用契約を解除するに至った。
西岡氏は自らの行為が如何なる結果をもたらすか、大学教員の経験者として十分承知していたはずである。しかし決してそのような事柄を雑誌論文に書くことはないだろう。西岡氏の論文に、捏造記事と国益毀損のキーワードを除いて、当該大学への抗議を煽動するフレーズが含まれていないのは自明であり、地裁判決の想像力欠如と言うほかはない。
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8. まとめ (全文)
最後に、植村裁判地裁判決の全体像を概観する(図2参照)。図2で、実線矢は地裁判決における「認定摘示事実」とその真実相当性もしくは真実性を証明する証拠・根拠の関係を示す。矢先、矢元はそれぞれ「認定摘示事実」、「証拠・根拠」を示している。
それに対し、点線矢は、地裁判決では言及されていないが、「認定摘示事実」とその反証に成り得る証拠・根拠を示す。例えば元慰安婦の訴状(平成3年訴訟)は、地裁判決では、「認定摘示事実3」の真実性を補強する証拠として用いられたが、観点を換えれば、1991年当時、植村記事を含む慰安婦報道が実際には韓国における慰安婦問題の取り組みを正しく報道していたという意味で、「認定摘示事実3」を強く否定する根拠となり得ることを示す。また旧日本軍の従軍慰安婦問題への国際社会の理解は大局的には今後も揺らぐことはなく、かつての戦争犯罪の一つとして日本は国際社会から問題究明を迫られ続け、免責されることはない。植村記事による報道の正当性を裏付けるものである。
「認定摘示事実1~3」を結ぶ双方向の矢線は、「認定摘示事実」が相互に補完しあうことを示すが、あくまで地裁判決で描いた構想であり、実際には4-2節で述べたように排除し合う可能性もあり、またどれか一つが否定されると論証全体が崩壊する。
図2 地裁判決の論証スキーム
【著者のコメント】本論文執筆の経緯
著者が植村裁判に関心を寄せるようになったのは、『マケルナ北星!の会』(略称:マケルナ会)の神沼公三郎さんから「マケルナ会シンポジュウムのご相談」という電子メール(2015年8月26日付)を頂いてからです。「マケルナ会」というのは、当時、植村隆さんが非常勤講師をしておられた北星学園大学(札幌)に植村さんの解雇をせまる脅迫状が多数届いたため、事態の複雑化を恐れた学園当局が、次年度、植村さんと契約を交わさないのではないかとの観測があり、植村さんの非常勤講師継続に向けて支援するために結成された会です。それ以降、本年2020年3月5日に至るまで、植村裁判の経過その他植村さんの活動について、神沼さんから、さまざまな情報をお知らせいただきました。
2018年の8月9日の札幌地裁判決後、神沼さんから、判決全文と判決についての各紙の記事が送られてきました。そこで驚いたのは、植村さんが北星学園等で甘受せざる得なくなった災難と判決のギャップであり、一記者に対する「記事捏造」という究極の名誉棄損によって誘引された迫害を、「そう信ずるに足る十分な理由があった(真実相当性)」などの官僚的言い回しで免責する裁判はどこかおかしいと直感的に感じた次第です。
さて、昨年2019年11月、李栄薫著「反日種族主義」の日本語版が文藝春秋社から出版されましたが、同書をハングルで読破された知人から紹介され、何が書いてあるか読んでみようという気になりました。この本は三部から構成され、第三部が「種族主義の牙城、慰安婦」ですが、その書き出しは「葛藤の原因 一九九一年、日本軍慰安婦問題が発生しました。金学順さんという女性が日本軍慰安婦だった自分の経歴を告白しました。・・・(略)・・・それから今までの二八年間、この問題をめぐって韓国と日本の関係は悪化の道を歩んできました。・・・(略)」となっています。ここにいう「今までの二八年間」の日韓関係はまさに植村裁判の背景となる時代です。では、李栄薫氏が言うように1991年に初めて日本軍慰安婦問題が発生したのか、そうではありません。第二大戦直後に日本軍が占領地のオランダ人女性に慰安婦を強制した「スマラン慰安所事件」が発覚し、オランダの軍事法廷で日本軍将校7名と慰安所経営者4名が戦争犯罪で有罪になっています。
残念ながら、欧米諸国は、アジア人女性の人権侵害までは意識が回らず、アジア諸国にも[従軍慰安婦=戦争犯罪]という意識が薄かったため、戦後しばらく、李栄薫氏が言うように、1991年まで放置されてきたということです。
植村裁判の意義は、もともと存在しなかった日韓間の従軍慰安婦問題が、韓国女性団体の呼びかけに応じて戦後初めて元慰安婦が名乗り出たことを一早く報道した新聞記者たちによって捏造されたのか、あるいは人権意識の高まりによって浮かび上がったのか、日本国憲法・国際法に照らしてどう判断すべきかが問われることにあります。その意味で植村裁判を検証することは重要だと考えられます。