2016年12月4日日曜日

植村隆のソウル通信第6回

ローソクデモは大統領府まで

100メートルに迫った!

文・写真=植村隆

韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領の退陣を求めるローソクデモが12月3日に行われた。
韓国のメディアによると、ソウル市の光化門広場一帯で開かれたデモには主催者側推計で約170万人(警察推計32万人)が集まった。全国の合計では232万人が参加する、史上最大規模となったという。
この夜、ソウルのど真ん中は、ローソクの光であふれた。家族連れやカップルなども多数参加した平和的なデモだった。集会の光景などを、お伝えしたい。
ローソクを掲げスマホの前でポーズをとる親子もいる

手前中央の女性に注目! 
ローソクが付いたヘアバンドをしていた
手書きのポスターを手にして、募金する高校生たち
■突然、風のように消える権力?
朴大統領が疑惑の一部を認めて以降、毎週土曜日に行われている大規模ローソクデモは、これで6週連続。私はこの日、午後4時ごろにカトリック大学(富川市)近くの駅・駅谷駅を出発した。いつものように駅のスタンドで、リベラル紙の京郷新聞を買おうとしたが、売り切れていた。
三大紙(東亜日報、朝鮮日報など)のひとつ中央日報を求めた。
一面にカラーの地図つきで、「青瓦台(大統領府)の目前100メートルまでローソクデモ」という見出しの記事があった。行政裁判所が、きょうのデモをそこまで許可したというのだ。デモの度にごとに徐々に、朴槿恵大統領がいる大統領府に近づいているのだ。
10月29日の第1回デモの時には、約1・3キロ離れた世宗(セジョン)大王の銅像までしか許可がされなかったので、まさに大きな「進歩」である。

ベンチで、新聞をチェックしていたら、電車が到着した。ほぼ満員だが、本を読む位の余裕はある。車内に立った私は、朴槿恵大統領の自叙伝の邦訳「絶望は私を鍛え、希望は私を動かす」(2012年、晩聲社)をデイパックから取り出し、読み続けた。韓国では07年に発行されたもので、大統領になる前の国会議員時代の書籍である。
朴大統領が政治家として、どんなことを考えていたのかを知りたくて、このところ、紐解いている。

朴槿恵氏の母・陸英修さんは1974年に、夫の朴正煕大統領(当時)を狙った凶弾に倒れた。そして、1979年、朴正煕大統領は側近に暗殺された。こうしたつらい体験のある朴槿恵氏の心の記録でもある。父が暗殺された後、側近が心変わりして、離れていったことなどを振り返った後、朴槿恵氏はこう書いている。
《権力は、一生摑んでいられそうでも、ある瞬間、突然風のように消えてしまうのだから、うつろなものだ(中略)。権力が国民のために使われず、個人の利益のために濫用されたとき、その結果は醜悪である》

■ウソと犯罪の独裁との闘い
親友の崔順実(チェ・スンシル)被告が財閥企業に財団設立資金を出すように強要した事件で、朴大統領は検察から共謀関係にあると見られている。
それだけに著書の言葉は、朴氏にブーメランのように返って来ているように思える。 最新の韓国ギャラップの世論調査(11月29日~12月1日)では、朴大統領の支持率は4パーセントで、2週連続で史上最低だという。

40分ほどで、ソウル市庁駅についた。午後4時40分。
地上に出ると、朴大統領や崔被告を批判するポスターが地面に貼られ、集会参加の市民たちが、その上を踏んで歩いていた。
旧ソウル市庁(現在は図書館)前のソウル広場で、マジックで朴大統領や崔被告の似顔絵を描いている老人がいた。「先の大統領選挙では、朴槿恵に投票したが、まさかこんなことになるとは思わなかった」と話していた。広場の周りの大きな道路はすべて、車の通行が禁止され、歩行者天国状態だ。大学生たちが「朴槿恵退陣」とデザインしたステッカーを1000ウオン(約100円)で販売していた。ローソクは無料だという。

彼らが「光化門」というタブロイド版の新聞をくれた。その中に、韓国民主化運動の生き証人として、咸世雄(ハム・セウン)神父のインタビューが掲載されていた。咸神父は
「2016年のローソク闘争は倫理的なウソと犯罪に取り囲まれた独裁と真実の闘いと見ることができる。この過程で、私たちは今後、一段階さらに上昇した共同体をつくることができるように力と知恵を集めなければならない」
と指摘していた。

ソウル広場では
風刺画を描く老人がいた
屋台そばの横断幕に「朴槿恵拘束!」
路上で販売中の集会グッズ
横断幕を販売中。5000ウオン












■祝祭気分とさまざまな怒り、不満
さて、そのローソクである。大体は有料販売である。あちこちで売っている。
キムパップ(海苔巻き)を販売している女性が、コップとローソクを組み合わせた手作りのものを売っていた。いかにも仏壇に供えるような電気のローソクを売る人もいる。
LED利用のローソクは2000ウオンで売られていた。ローソク型のオリジナルバッチも2個で5000ウオン。「下野(ハヤ)」というハングルをデザインしている。寒さに対応できるように簡易毛布やカイロも売られている。
5000ウオンで、朴大統領の退陣を求める横断幕を売っているのには、驚いた。家庭用だという。

高校3年生だという二人が、東亜日報旧社屋前で募金をしていた。市民にローソクなどを配るためだという。手書きのポスターを手に声を張り上げる。「一所懸命勉強していい大学に行くより、世の中を暮らしやすくするのが重要だと思ってここに来ました」
串焼きやおでんなど食べ物を売る屋台も歩道脇に並んでいる。別の場所では、日本風のたこ焼きを売っている車両も見かけた。韓国でもたこ焼きは大人気だ。政治はまつりごとというが、まるで、お祭りの雰囲気、祝祭気分である。

集会は午後6時から始まった。登壇者は、次々に朴大統領を批判し、下野を求めた。私は世宗(セジョン)大王の銅像のあるあたりで、それを眺めた。
大きなクレーンが集会参加者の頭上を動く。クレーンの先にケーブルテレビのビデオテレビがつけられている。ケーブルテレビは集会の様子を生中継しているのだ。集会に参加していない人々も自宅などで、テレビを見ながら、胸を熱くしているに違いない。
ゲストの歌手が、歌を歌う。それが、各所に置かれた大型スクリーンにも映し出される。韓国で一番有名な書店「教保文庫」の入った教保ビルと東亜日報の旧社屋の間の幹線道路におびただしい数の人々が座り込んでいる。その列は、ずっと東に伸びている。しかし、その道路の間に一筋の道が出来ている。人が行き来するために、そこだけは、集会参加者が座っていないのだ。秩序ある大集会だということを改めて感じる。
集会では、歌手が歌も歌った。その一つは私もよく知っている「ホルロアリラン(ひとりアリラン)」だった。朝鮮半島の雄大な風景を歌い、南北統一を願った歌である。歌詞の中に「手を取り合って行こう」というフレーズがある。

さにソウルで繰り広げられている、朴大統領退陣要求行動は、そうした意味で、市民がこころを一つにしている、趣がある。朴大統領と崔被告の不正疑惑への怒りだけでなく、沈滞する経済、それに起因する就職難などへの反発もあるだろう。
また、財閥や権力に対する怒りもあるだろう。そうした様々な怒りや不満が、一気に爆発しているということだと思う。

■韓国生活では3度とも大きな出来事
韓国の民主化は、上から与えられたものではない。1987年の民主抗争で、市民自身が勝ち取ったものだ。この日も、光化門広場周辺では、「憲法第一条」という歌が歌われていた。「大韓民国は民主共和国である。主権は国民にあり、すべての権力は国民から発する」という第一条を歌詞にしているものだ。
一連のローソクデモの背景には、「社会を自分たちの力で変えよう」という市民たちの熱い思いがあるようだ。
 
こうした韓国のデモクラシーは、隣国の日本人にとって、相当にまぶしいものだ。私は、韓国の民主化運動が高揚した1987年に、語学留学生としてソウルに暮らした。そして、ソウル特派員として、1997年12月の大統領選挙で、金大中当選の記事を書いた。韓国現代史にとって大きな出来事があったときにソウルに暮らしていた。そしていまは、大学教員として、3度目の韓国生活を送り、ローソクデモを眺めている。つくづく、不思議な縁だと思っている。

さて、こんなにたくさんの人々が集まったら、トイレはどうするのだろうか、という疑問を持つ人もいるだろう。
ソウル市庁近くでは、「WC」のプラカードを掲げ、案内をする女性たちの姿を見た。市庁の建物の壁の巨大なスクリーンでは繰り返し、トイレの場所を地図で示していた。私もソウル市庁の建物のトイレを使ったが、混乱はなかった。
3時間近く、集会見物をして、地下鉄市庁から電車に乗った。人が多いものの電車にもスムーズに乗れた。
午後7時半ごろ出発。車内は混雑しているものの、本も読める余裕がある。私は帰路も朴大統領自叙伝を読むのに集中した。本の中で、朴槿恵大統領の声を聞くためだ。

■「国民に勝てる大統領などいません」
こんなエピソードが興味深い。
2005年9月、当時野党の党首だった朴槿恵氏が、大統領府で盧武鉉(ノムヒョン)大統領(当時)と会談するシーンだ。同書によると、当時、盧大統領は野党と与党の大連立を目指していた。それを断る朴氏に対し、盧大統領が任期途中の辞任を示唆する。朴氏は大統領の辞任に反対し、大統領の地位について、こう諭している。

「私は大統領がどんな地位か、近くで長いあいだ見てきたのでよく理解しています。誤解は受けますし、国民の心配が即大統領の心配になり、24時間気が休まりません。無限の責任を負う地位です。他人は権力者だと言いますが、実際はとても孤独な立場です」「国民に勝てる政治家や大統領などいません」

まるで、いま朴大統領がおかれている立場について、語っているようにも聞こえる。

地下鉄駅谷駅から、マウル(小型)バスに乗って、カトリック大学に戻った。
自宅に帰って、テレビにスイッチを入れると、ケーブルテレビ各社が、デモの中継をしていた。「全国で232万人集まった」などと報道していた。この日のデモは、大統領府まで100メートルのところまで進出した。

退陣を求める参加者の声は、大統領府まで届いただろう。孤独な大統領は、どんな思いでそれを聞いたのだろうか。
自宅に戻って、ケーブルテレビを見ると、「全国232万人が参加」と伝えていた。
史上最大の集会だという。朴槿恵自叙伝と一緒に画面を撮影してみた