控訴審判決報告集会は、同日(2月6日)午後6時半から札幌駅近くのエルプラザで開かれた。大雪の中、会場の3階ホールには約100人が集まった。植村氏と弁護団の報告、ジャーナリスト安田浩一さんと新聞労連委員長・南彰さん、映像作家・西嶋真司さんのトーク、韓国から訪れたウセンモ(植村隆を考える会)の李富栄さんと李京禧さんのあいさつ、ピアニスト崔善愛(チェ・ソンエ)さんのピアノ演奏とトークと、盛りだくさんのプログラムが進行した。集会の最後に、弁護団共同代表の伊藤誠一弁護士と、支える会共同代表の上田文雄さん(前札幌市長)が、上告審でも闘い抜こうと訴え、支援を求めた。以下は、主な発言の要旨(発言順)。
2段目左から小野寺、植村、神原さん 3段目同=安田、南、西嶋さん 4段目同=崔、伊藤、上田さん 5段目=ウセンモのみなさん |
▼小野寺信勝・弁護団事務局長 この判決は、「植村さんを勝たせない」と最初から決めて、論理的に無理な理屈を組み立てた判決だ。私たちは数百ページに及ぶ主張をしたが、判決は実質10ページ、重要部分は5ページ程度。櫻井氏は3つの資料を誤読・曲解し自論を立てているが、判決は「資料を総合考慮し」という言葉で片付けた。また強制連行を「居住地から無理やり」という限定的な意味でとらえている。事実をもとに下から積み上げた結論ではない。これまでの最高裁の判断から大きく逸脱している異常な判断だ。
▼植村隆さん こういう(捏造記者と決めつけた)ことは本人に取材して事実確認しなくても免責されるという判断は非常に危険だ。札幌地裁で、私を捏造記者というのは「言いがかりだ」と証言した北海道新聞の喜多義憲記者の証言は、高裁も無視した。検討すれば「植村を勝たせない」という結論が崩れるからだろう。裁判は、独立した、司法の専門家が証拠や事実に基づき合理的な判断を下すものと思っているが、裁判の劣化をしみじみ感じる。しかし提訴したことで誰も捏造記者と言わなくなった。この問題はおかしい、不当だと、一緒に闘ってくれる人がたくさん出来た。正義を実現してくれという市民たち横のつながりが生まれた。新しい闘いが始まります。これからも、どうかお力を寄せて下さい。
▼神原元・東京弁護団事務局長 3月3日の東京高裁判決がどうなろうと、植村裁判は最高裁に持ち込まれる。裁判官は理詰めで判断する人たちだが、その前に直感として「こうじゃないの?」と感じることは、人間だからありうる。その直感は社会の雰囲気とか世論が影響する。世論には右傾化を食い止め、裁判所を動かす力もある。草の根から私たちの意見を広げ、差別主義、歴史修正主義と闘って行きたい。
▼安田浩一さん ひどい判決だ。取材をしなくても手元に資料があれば、それで記事を書いても構わないという。デマをちりばめたネトウヨのまとめサイトだって、記事として肯定できるということだ。この裁判では植村さんの正義と櫻井さんの不正義がぶつかり合っている。不正義を後押しし、扇動しているのはだれか。私は裁判長の背後に、日の丸の旗、日本という政府、国家が浮かび上がるような気がする。
▼南彰さん 櫻井氏は判決を受けて「言論の自由が守られた」とコメントした。はっきりしたことは、どういう表現・言論の自由が争われているのかということだ。歴史的事実と向き合い、普遍的な人権を尊重する表現の自由か、それともそうした事実を抹殺し、捏造記者といった非常に暴力的なレッテルを貼っても免責される表現の自由か。その2つが問われている大きな闘いだ。
▼李富栄(イ・ブヨン)さん 胸が痛む判決だった。軍事独裁政権の韓国で、司法府が人権弾圧機関に成り下がったのを私たちは見てきた。植村さんと一緒に、北東アジアの平和、日韓の善隣友好を実現させるため、皆さんと共に歩みたい。
▼李京禧(イ・ギョンヒ)さん 慰安婦被害者が最も多い韓国慶尚南道で「日本軍慰安婦歴史館」建設に取り組んでいる。また慰安婦記録のユネスコ「世界の記憶」遺産登録運動も進めている。ご支援をお願いしたい。
▼伊藤誠一・弁護団共同代表 司法の場できちんと主張し証拠も出したのだが、司法を変えることができなかった。力を抜いたわけではないが力不足だった。最高裁に向けて決意を新たにする。著名な教育学者、勝田守一氏の言葉、魂、ソウル(soul)は頑固に、マインドは柔軟に、スピリットは活発に、を思い起こしながら役割を果たしたい。
▼上田文雄さん 今朝、訴状を読み返しながら、提訴の日(2015年2月10日)から5年経ったんだ、と思った。残念な判決となったが、(慰安婦の)歴史をなかったことにしたいという思いが一審判決そして今回の判決で先行している。植村さんの正当性をはっきり示した(元道新の)喜多義憲さんの証言については失礼なことに一言もふれずに、ネグレクトした不自然さ、不誠実さには、激しい怒りを皆さんと共有したい。証拠に基づく判断、それが司法の役割だと思う。権力におもねることなく、独立したまっとうな判決をする、証拠に基づいて、いやな事実も恥ずかしい事実もあるものはある、決してなかったことにしない、それを証明し主張を通していくのが裁判所の役割だと思うが、それを怠った裁判所の罪は大きい。ごめんなさいと言わなければならないのは裁判所だ。ここで矛を収めるわけにはいかない。
まとめtext
by H.H.
写真 石井一弘