札幌控訴審の判決が近づいてきました。
植村さんは昨年10月10日、札幌高裁での結審にあたって、法廷で最後の訴えをしました。
その最終意見陳述から、この裁判の核心について述べている部分を以下に掲載します。
■櫻井さんを勝たせた札幌地裁判決は、間違っています。
櫻井さんが捏造の根拠として示した訴状、ハンギョレ新聞、月刊『宝石』の3点では、私の記事を「捏造」とか「捏造の疑い」とは絶対に書けません。
「捏造」は誤報と違い、間違いであると知りながら意図的にでっち上げることです。
「捏造」と断定するためには、私が間違いと知っていたかどうか、植村の認識が問われるのに、この訴状、ハンギョレ新聞、月刊『宝石』の3点セットには、私の認識を示す記述が一切ないからです。
■櫻井さんが、私の記事を「捏造」と断罪するからには、確かな取材と確かな証拠が必要でした。
しかし、櫻井さんは私の記事を「捏造」と断定する直接的な証拠を何一つ示せていません。
そのうえ、私に一切取材せず、金学順さんら元慰安婦に誰一人会いもせず、「韓国挺身隊問題対策協議会」にも、私の義母にも取材していません。
櫻井さんには「真実性」はおろか、「真実相当性がある」と言えるファクトが、ひとつもないのです。しかし、一審では「真実相当性」があるとして、櫻井さんを免責してしまいました。極めて異常な判断でした。
■この判決が高裁でも維持されれば、ファクトに基づいて伝えるジャーナリズムの根幹が崩れてしまいます。
ろくに取材もせずに、事実に反し「捏造」と決め付けることが自由にできるようになります。
第二、第三の「植村捏造バッシング」を生みかねない、悪しき判例になってしまいます。
その先にあるのは「報道の自由」が弾圧されるファシズムの時代ではないでしょうか。
■私は捏造記者ではありません。裁判所は人権を守る司法機関であると信じております。
※植村さんの最終意見陳述の全文はこの記事にあります →こちら