はじめに、6月に「植村裁判を支える市民の会」の共同代表に就いた本庄十喜(ほんじょう・とき)さんがあいさつをした。
裁判報告では、この日の弁論内容を札幌弁護団の成田悠葵弁護士が解説し、さらに、6日前の東京地裁判決の問題点を、東京からかけつけた神原元弁護士が詳しく説明した。
裁判報告に続いて、韓国の民主化運動を牽引した「伝説的」ジャーナリスト、任在慶さんと李富栄さんのあいさつと講演があった。
植村さんの裁判を応援し韓国内に広めるために来日した両氏は、この日の裁判を最前列席で傍聴した。任さんは、初めて訪れた北海道の印象と日韓の民間交流の必要性を語った。李さんは、独裁政権時代の過酷な弾圧体験を交えながら、日韓関係の改善と悪化の歴史を振り返り、「朝鮮半島の平和の核は9条の精神にあるのではないか」と語った。両氏の強い自信にあふれた発言に、会場では共感の大きな拍手が起きていた。
集会の最後にジャーナリストの安田浩一さんと植村隆さんがそれぞれの思いを語った。
集会は午後8時半過ぎに終わった。参加者は80人ほどだった。
■社会正義実現のための異議申し立て
共同代表・本庄十喜さんのあいさつ(再録)
札幌地裁に続き東京地裁においても、植村訴訟は、信じがたい耳を疑う判決が続いています。このところ、日本国内では司法の良心とは一体何なのか、人権救済を一体どこに求めることができるのか、暗たんたるやりきれない判決ばかりが聞こえてきます。
しかし、植村さんがきょうの意見陳述で述べたように、歴史と真実に向き合うジャーナリズムの原点、それこそは市民社会の求める社会正義と合致するものだと思いますが、そのような社会正義が脅かされる場合、私たち市民ははっきりと異議申し立てをしなければなりません。
残念ながら日本社会は民衆の力で社会の変革をもたらした経験が非常に乏しいのですが、お隣の国、韓国は歴史上そのような経験が日本に比べて豊富だと思います。その意味で、日本よりも民主主義がより成熟した社会だと言えるでしょう。本日は韓国の民主化闘争の生き字引のようなお二人、任在慶さん、李富栄さんをお招きできたことをたいへん光栄に思っております。李富栄さんは本日、朝鮮半島における日本国憲法第9条をテーマに講演して下さいます。韓国の民主主義の体現者が第9条をどのように評価されるのか、講演をとても楽しみにしております。
日本社会でも不正義に対してノーという権利がきちんと保障され、社会正義を貫くことができる、まっとうな社会を私たちのものとするために、そして、それを未来に生きるこどもたちに受け継ぐために、控訴審も植村さんとともに、みなさんのお力をお借りして、ともに歩んでまいりたいと思います。ご支援のほど、よろしくお願いいたします。
■目の前の日本海が「生きた海」になるように
任在慶さんのあいさつ
初めて札幌に来た。翌日、米朝首脳が板門店で会談した。時代の『運』を感じる。植村さんの裁判にも、日本の平和憲法が守られるかにも注目している。小樽で昨日、小林多喜二の墓にお参りした。目の前に広がる海が、朝鮮半島、ロシア、中国、遠くイスラムとの流通で船が行きかう『生きた海』になることを願っている。
【任在慶(イム・ジェギョン)さんはこのほど、韓国で植村隆さんを支援する団体を立ち上げた。1936年生まれ。新聞記者、論説委員として活動し、軍事独裁政権糾弾の運動に加わっていた80年、韓国日報を解雇され投獄された。民主化闘争を続ける88年、市民の出資で創刊されたハンギョレ新聞の初代副社長を務めた】
■講演
平和憲法9条と朝鮮半島の平和は「針」と「糸」
自由言論実践財団理事長・李富栄さん
きょう植村さんの裁判を傍聴した。万感こもる思いで胸が痛い。正義を貫いた人が、権力とくっついた人たちから「正義ではない」とされている。私自身、軍事独裁政権打倒の言論闘争で何回も捕まり、拷問も受けた。人権を抑圧しながら自分たちがしていることを民主主義といい、朴正熙大統領、全斗煥大統領に反対する者はすべて共産主義者とされた。
皆さんは河野談話、村山談話を記憶されていると思う。金大中大統領と小渕首相との日韓パートナーシップ宣言、菅直人首相の談話、平成天皇が植民地支配に「痛惜の念」と発言したことも。しかしすべてが安倍政権になって覆された。慰安婦問題の発言についても同様だ。日本は非常に危険な状況にある。
先日、私が主宰している自由言論実践財団で、植村さんが「歴史の歪曲と戦う言論人の報告」として講演した。懇親会で植村さんは「韓国のマスコミの方々に話をきいてもらった。日韓間の誤解を解く場所になると思う」と話した。
私は告白しなければならない。韓国人として植民地時代に受けた抑圧、自分のくやしさを解消しようとばかり考えていた。私たちと一緒に、正義のために戦っている日本人のことを考えることが出来なかった。その日本人の代表として植村さんの勇気を評価、尊敬し、「植村さんを考える会」を作った。
今日の演題を「「平和憲法9条と朝鮮半島の平和は『針』と『糸』」とした。韓国のことわざで「針と糸」は、お互いが緊密な関係という意味だ。民主化、市民運動をしてきた私たちは、日本の憲法9条は人類を守る教科書と考えてきた。
「日本国憲法第9条にノーベル平和賞を」と神奈川県の主婦が始めた運動に我々も応えようと、署名活動が2014年に韓国でも始まった。日本人の悪いことは言い募る韓国人だが、日本人の前向きな取り組みを積極的には強調しないで来た。反日感情からこの署名活動に反発、怒りもあった。
しかし、元国務総理、元国会議長、元最高裁長官、元国家情報院長や文化人、私を含め賛同者は約50人。米、英、独など各国を代表する新聞に大々的に報じられた。私たちと付き合いがある鳩山由紀夫さん、小沢一郎さん、野中広務さん、岡本厚さん(岩波書店社長)らから「こういう積み重ねで日韓関係は良くなる」と激励してくれた。
終戦70周年の2015年6月、大江健三郎さんたちが憲法9条を守る集会を東京で開き、韓国の多くの市民団体は連帯のメッセージを送った。この9条を幹にして、朝鮮半島の平和、東アジアの平和、さらには世界の平和実現を目指した。
安倍首相は北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)委員長と「条件を付けずに会う用意がある」と発言するようになった。それまで「拉致問題が解決しなければ、会いもしないし国交も正常化しない」としてきた態度が変わった。安倍首相の非妥協的で自己中心的な態度に、日本国内でも非難が起きてきたことも一因だろう。
いま朝鮮半島では大きな変化が起きている。平昌冬季五輪が成功裏に行われ、南北首脳会談、米朝首脳会談が開かれた。歴代の首相や官房長官の談話、天皇の自責の念、そういったものすべてを覆した結果として、日本がバッシングされ、孤立する状況がある。
今年6月7,8日、朝鮮半島と日本の非核、日朝国交をうながす集会とシンポジウムが東京で開かれ、私も参加した。約500人のデモ参加者は歌いながら、銀座を練り歩いた。韓国のローソクデモで歌われた「朝露」「真実は沈黙しない」「岩のように生きる」等々を、日本の市民運動の人たちが一緒に歌っていた。韓国のデモが頻繁に行われ、歌も世界に通じるようになったと感じた。
シンポジウムで私は、日朝国交正常化は東アジアの平和の核だ、と発言した。昔だったら国家保安法で捕まっただろう。世の中は大きく変わった。安倍さんも変わり始めた。
周辺国は何に注目しているか。すぐある参院選で、憲法9条が破壊されることは防がなければならない。32の1人選挙区で野党候補が1本化したと聞いている。安倍政権の議席3分の2獲得は阻止できると思う。安倍責任論が出て来るかもしれない。
結論を6項目にまとめたい。
◇安倍首相は、河野洋平、村山富市、菅直人氏ら首相、官房長官談話、また金大中・小渕恵三の共同宣言、平成天皇の「痛惜の念」遺憾表明を無視してはならない。
◇安倍首相は日本政府の継続性を尊重して、朝鮮半島との関係を修復すべきだ。
◇日本政府は植民地統治を謝罪し1965年の日韓体制を変えなければならない。65年の日韓条約は、韓国併合、植民地化を反省していないところから生まれている。さきに挙げた談話等は、植民地化を謝罪したということだ。だからこそ日韓条約は変化しなければならない。
◇日本政府は平和憲法を守り、東アジア平和共同体を志向しなければならない。
◇日本は、かつての強大国復活が再び悲劇を招くということを直視する必要がある。鳩山元首相は最近出版した『脱 大日本主義』で、「軍事強大国より経済、文化、芸術、立派な外交で一流国になれる」と言っている。
◇最後に6番目。韓国と北朝鮮は、東アジアの平和と分断克服に日本が大きく貢献することを期待する。
【講演の最後に、会場からの質問に答え、つぎのように語った】
民主化闘争は大統領直接選挙を87年に復活させた。しかし野党側は金大中、金泳三が立候補して対立。全斗煥前大統領の後継、盧泰愚(ノ・テウ)が勝利し軍事政権を引き継いでしまった。
91年に南北朝鮮が国連に同時加盟した。中国、ロシアは韓国とも国交を正常化したが、日本と米国は北朝鮮と国交正常化はしなかった。これを見て金日成主席は、東欧のように自国を潰そうとしていると考えた。朝鮮半島の核危機は、そのころから生まれたといえる。
危機をもたらしたのは日本と米国だと思う。朝鮮半島の平和には、なによりも日朝国交正常化が必要だと考える。
【李富栄(イ・ブヨン)さんは1942年生まれ。朴正煕軍事独裁政権の言論検閲に対抗し、東亜日報の社内の約200人で自由言論実践宣言を発表した。1975年に解職、投獄され、民主統一民主運動に身を投じた。4回目の服役中の86年、収監されていた刑務所で、ソウル大生の水拷問死事件の真相をつかみ、外部の支援者を通じて暴露、全斗煥大統領退陣に結び付いた。この話は「1987 ある闘いの真実」として映画化された。政界にも転じた後、自由言論実践財団の理事長を務めている】
■過去の過ちに向き合う国の強さ
ジャーナリスト・安田浩一さん
今年1月にたまたまソウルに行き、かつて拷問があった南営洞にも行った。映画「1987 ある闘いの真実」の中で、刑務所の独房で調書を書き写して外部に流すという場面があって、映画の中の作り話かと思っていたが、李先生の講演で、あのような真実があったということがわかった。ソウルには今でも拷問に使われた部屋や、政治家、記者たちが投獄された刑務所が残されている。自らの犯罪、自らの過ちをきちんと施設、建物として保存し、残している。そこに韓国社会の強さというものを感じた。
日本では戦争犯罪であれ、民主主義に反したこと、すべてを残していない。過去の遺物を葬り去って、過去に何をしたのか一つ一つ教えることなく、過去の過ちを頬被りをして、私たちの社会から見えなくしている。それが今の日本社会であり、植村裁判の本質もそこにあるのではないかという気がする
私たちの社会がしてきたこと、国がしてきたこと、誤ったことを見ないですむようにし、なかったことにして、私たちの社会は前に進もうとしている。植村さんがやろうとしたことは、それをきちんと見つめることであり、そしてそれを阻止する社会というものがあり、政治があり、今、このせめぎ合いが起きているのではないか。過ちをきちんと総括することもしなかった。そのツケがさまざまな形で今の社会に亀裂を生んでいるのではないか。
一昨年アメリカに行った。アメリカが良い国とは思わないが、しかし戦時中に日本人、日系人を収容した施設が全部残っている。しかも「レイシズムの歴史」という看板を掲げ、それがレイシズム、人種主義、人種差別であったこと、過ちであったこととして、残している。第二次大戦でアメリカと戦ったのは日本だけではない。ドイツもイタリアも戦った。しかしドイツ人もイタリア人も1人も収容所にはぶち込まれてはいない。なぜか。日本人はアジア人だからだ。つまり明確な人種差別があったことをアメリカは認めている。
私たちの国はどうか。戦時中の誤りを何も認めていない。私は誤りを認めることに国の強さ、社会の強さを感じる。軍事でも経済でも人の数でもスポーツの強さでもない、本当の強さは、過ちを認めると言う行為の中に見出したいと思う。
私たちの社会には少なくとも戦後、幸いなことに、朴正煕も全斗煥もいなかった。報道の在り方をめぐって極端な弾圧を受けることもなかった。しかし今、私たちの国のメディアは、韓国やアメリカ以上に、めちゃくちゃ弱くなっている。拷問も暴力も弾圧もない。けれどもたぶん、私たちの国のメディアは、忖度し、おもねり、国家権力に都合のいい記事ばかり書き続け、時に弱々しく政権を批判する。そういう構図の中で、私たちは生きているような気がする。
あえて乱暴なことを言う。日本の記者を黙らせるには拷問なんて必要ない。勝手に拷問されたような顔をしてくれるから。暴力も必要ない。勝手に暴力を受けたような泣き言を言ってくれるから。
私たちはメディアという枠組みの中で国家権力にきちんとものを言うことができるのか。
私たちはできることをしよう、書けることを書こう、そして書かなければならないことは絶対に書いていこう。李先生の講演を聞いて、あらためてそう決意した。
■巨大な敵と闘いながら若い記者を育てる「金曜塾」
植村隆さんの報告
私たちは巨大な敵と戦っているのだと思う。裁判の相手、櫻井よしこさんは、憲法改悪キャンペーンの民間組織のトップ。その機関紙に、東京訴訟の被告、西岡力さんは、安倍晋三首相と櫻井さんを慰安婦問題の「古くからの同志」という。
安倍さんは雑誌『正論』(09年12月号)で「いま中学校の教科書に慰安婦の文字は無い」と自分たちの運動の成果をうたう。櫻井さんは17年10月の産経新聞で「なんとしても安倍政権のもとで憲法改正を」と語り、安倍さんはビデオメッセージを櫻井さんの団体に送ってエールを交換する。
今年元旦の産経新聞の新春対談で、司会の櫻井さんが冒頭で「私は民間団体として、憲法改正の第一歩を後押ししたい」、安倍さんは「国民的な議論と理解が深まっていくように」と返す。
今日買った雑誌『HANADA』」にも安倍・櫻井対談が組まれている=写真下。
忘れてはならない戦争犯罪、伝えなければならない様々な歴史、記憶の継承に対するテロが起きている。ソウル南山ふもとの公園に、「記憶されない歴史は繰り返される」と刻まれた慰安婦に関するモニュメントがある。この言葉を噛みしめ、裁判の勝利、河野談話の継承、ヘイトのないお互いが尊敬する社会の実現を決意してきた。
さらに加えて、骨のある若い記者を育てることを目指している。
一つの取り組みは、日韓のジャーナリスト志望の学生が交流し、一緒に取材、討論し、酒を飲み、メシを食い、共に歴史を直視し、東アジアの問題を考えていく試み。これまで4回開いてきた。
1回目は韓国。元慰安婦のおばあさんが共同生活する「ナヌムの家」を訪れ、ソウル市長を共同取材した。
2回目は広島。中国新聞社を訪問、記者時代に朝鮮人被爆者の問題に取り組んだ平岡敬・元広島市長の話を聞いた。3回目は沖縄、今年5月には韓国の光州で文大統領の演説、ソウルでは李富栄さんの話を開いた。
6月から東京で「金曜ジャーナリズム塾」を始めた。初回はジャーナリスト青木理さんが講師。学生たちが青木さんの話を一生懸命メモしているのを見ると、我々の世代の経験が若い世代に引き継がれていくのを実感した。毎月第4金曜日の夜、週刊金曜日編集部の一角で開く。