2018年10月25日木曜日

近づく札幌訴訟判決


札幌訴訟の判決が迫ってきました。
裁判所は、なにを裁き、どう判断するのか。これまでの経過をふまえて、そのポイントを解説します。

11.9判決直前! 植村裁判・札幌訴訟 ポイント解説

■裁判の経過
1回口頭弁論は2016年4月に開かれ、以来計12回の審理を重ねて、2018年7月に結審しました。
民事裁判では当事者の出廷は義務付けられていませんが、原告植村さんはすべてに出廷しました。被告櫻井氏も第1回と第11回(本人尋問)に出廷しました。証人尋問は植村さん側が申請した喜多義憲氏(元道新記者)ひとりが認められ、第10回に出廷しました。

■請求の主な内容
▽植村さんの「名誉回復」をはかるために、週刊新潮、月刊WiLL、週刊ダイヤモンド誌上と関連サイトに謝罪広告を掲載せよ
▽植村さんに「損害賠償」として、櫻井氏は新潮社、ワック、ダイヤモンド社と連帯し、各550万円を支払え

■裁判の核心と争点
最も大きな争点となったのは、被告櫻井よしこ氏が植村隆さんに浴びせた「捏造」批判が、立証可能な事実に基づく「真実」なのかどうか、ということでした。
植村さんが元慰安婦、金学順さんの被害体験を書いた記事(1991年8月、12月)について、櫻井氏は「金さんが言っていないのに、挺身隊だった、と書き、金さんが言ったキーセン学校への身売りの経歴を書かなかった」ことを根拠として「捏造」と決めつけていました。植村さん側は、櫻井氏のいう根拠について具体的な証拠を多数提出して反論しました。その結果、櫻井氏は2018年3月にあった本人尋問で、正確な事実を知らなかったことや金さんの証言を誤って引用していたことを認めました。
「捏造」と決めつけて攻撃していた側がじつは証拠を「捏造」していたのです。裁判の核心にかかわる、皮肉な結末です。名誉毀損訴訟では、被告の言説(著作や発言などの表現行為)が「真実」であり、もしくは「真実であると信じるに足る理由がある」場合、免責されることがあります。しかし、櫻井氏はそれには該当しないことがはっきりしています。この点について、裁判所の明快な判断が待たれます。
このほかに、櫻井氏の言説が「事実の摘示」なのか単なる「論評・意見」なのか、また、植村さんが受けた脅迫やいやがらせを煽る原因となったのかどうか、も重要な争点になりました。「事実の摘示」については、裁判所が提示した判断を双方が受け容れました。脅迫やいやがらせとの因果関係については、櫻井氏側は「否定する」と主張するのみで、議論に深入りすることを避けました。

■明らかになった櫻井氏の杜撰さ
本人尋問で誤りを認めざるを得なかった櫻井氏ですが、植村弁護団が第12回口頭弁論に提出した「最終準備書面」は、櫻井氏の杜撰な調査・取材態度を糾弾し「原告等に対する取材を全く行っていない」「金氏の訴状を確認せず、誤引用を雑誌、新聞、テレビで繰り返した」「金氏の記者会見での発言を確認せず、金氏が慰安婦となった経緯を正確に把握していない」と書いています。
また、弁護団共同代表の伊藤誠一弁護士は、結審にあたっての意見陳述で「被告櫻井は、日本軍慰安婦問題について自らとイデオロギーを共有するらしい一、二の研究者と面談し、その書いたものを参照したことはあったようであるが、その余の客観的資料に直接当たって、これを読み込むというジャーナリストとして最も基本的な営為を怠ったことが明らかになった」と断じました。著名なジャーナリストへのレッドカードでしょう。

■東京訴訟の結審近づく
東京訴訟の被告は西岡力氏(元東京基督教大学教授)と株式会社文藝春秋です。西岡氏は1992年頃から植村批判を繰り返してきました。その主張は歴史修正勢力の種本となり、植村バッシングに火をつけました。しかし、西岡氏が論拠とする証拠には重大な誤りや改変があることが、9月5日、東京地裁であった本人尋問で明らかになりました。櫻井よしこ氏らが拠り所とし拡散してきた「捏造」説の論拠そのものが崩れました。 
審理は11月28日に結審し、判決は来春に出る見通しです。歴史修正主義の主導者の誤りを裁判所はどう判断するか。名誉毀損の認定にとどまらず、社会的にも大きな意味をもつ判決です。


2018年10月19日金曜日

米誌に西岡記事転載

"Sold For 40 Yen" : NIshioka Tsutomu Admits Fabricating Evidence on the "Comfort Women"
9月10日に当ブログに掲載した記事「東京訴訟・西岡尋問続報ーーこれこそが「捏造」ではないか」(筆者、東京支援チームの水野孝昭さん)が英訳されて、The Asia Pacific Journal:Japan Focus に掲載されました。高波淳さんの写真も2枚掲載されました。

Japan Focusは、日本の歴史教科書問題についての著者もあるコーネル大学のマーク•セルデン氏が編集を担当しており、植村さんの件では北星学園大学に脅迫が殺到した際、海外メディアとしては一番早く「日本て学問の自由が危機にさらされている」と報じてくれました。今回も、植村訴訟の意義を、戦時下の女性への暴力への抵抗でノーベル平和賞を受賞したナディアさんらと関連づけて、日本での歴史修正主義に対抗する貴重な裁判での闘い、と紹介してくれました。
■The Asia Pacific JournalのURL  https://apjjf.org/2018/20/Mizuno.html
■英文論稿全文のPDF https://apjjf.org/-Mizuno-Takaaki/5208/article.pdf



2018年10月17日水曜日

判決迫り勝利を誓う

帰札中の10月10日午後2時すぎ、私は札幌市東区北11東2の交差点に立つ三つの看板(スリー・ビルボード)の前に立ちました。この日は、植村裁判を支援してくださっている労働組合へのあいさつ回りの日でした。支える会の七尾寿子事務局長と油谷良清さんのお二人と一緒に、私も回ることにしたのですが、その前にまず、この看板を見たかったのです。


 三つの看板は、右から順に「植村隆 真実 私は『捏造記者』ではない 岩波書店」「我々も 翁長雄志の 心継ぐ グリ-ン九条の会」「もり・かけは 三選あろうと 終わりなし あほうどり」とあります。
「グリーン九条の会」という設置者の名称の右側には「THREE BILLBOARDS IN SAPPORO」と表示しています。看板の下には、大きなコンクリートの土台があり、台風でもびくともしそうにありません。空き地の角に建てられており、車の運転席などからも、よく見えます。

札幌にある「グリーン九条の会」の世話人である「りんゆう観光」会長の植田英隆さんが発案し、8月1日から、この場所に登場しました。グリーン九条の会結成10周年記念で、設置したものですが、映画「スリー・ビルボード」からアイデアを得たとのことです。

三つの看板の一番右側は、岩波書店から出版した私の手記の書名を書いているだけなのですが、私のアピールを込めた書名を出すことで、私を応援してくださっていることがわかります。看板の言葉を見て、勇気が湧いてきました。
植田さんと、「グリーン九条の会」に感謝したいと思います。
11月9日の札幌地裁判決で、「勝訴」を改めて心に誓いました。

スリー・ビルボード前から、労組回りを始めました。私の裁判では大勢の市民のほかに、様々な労組の人たちも応援してくださっています。今回の労組回りでは、11月9日の判決の傍聴を呼びかけると共に、私の「金曜日」社長就任のあいさつも兼ねさせてもらうことにしました。

仕事を早退して駆けつけてくれた油谷さん運転の車で、市内の各労組を回りました。約4時間かけて、「札教組」「北教組」「連合北海道」「平和運動フォーラム」「自治労北海道」「地域労組」「道労連」「勤医労」など十数の団体を次々に訪問させていただきました。

「自治労北海道」には、峰崎直樹・元参議院議員がおられ、久しぶりの再会となりました。峰崎さんは、北星バッシングの時、北星学園理事会の監事をされていました。バッシングの初期に、峰崎さんに私は「私は捏造記者ではない」ということを詳しく説明しました。峰崎さんはそれを理解してくださり、私を支援してくださいました。
豊平川沿いの「道労連」などがある建物に入ると、北星バッシングの初期のいつも緊張していた頃を思い出しました。この建物に、同労組関係者や北星OBたちが集まって、私の話を真剣に聞いてくれ、どういう支援活動をするかを熱心に話し合ってくれたのです。その光景はいまでも、私の頭の中にありありと浮かんできます。
「地域労組」では、書記の佐々木かおりさんが、素敵なTシャツを着ていました。
黒地に白いクマのイラストが入り、SGUとあります。札幌地域労組の英語のイニシャルなのです。
思わず、私も着たいなと思い、一枚LLサイズを購入しました。1500円です。
よく見ると、クマが三頭、くっついています。「クマがスクラムしているのです」と佐々木さんが、説明してくれました。おそろいのTシャツを着て、佐々木さんと記念写真を撮りました。そして、思いました。北星バッシングに対する、「負けるな北星!の会」の運動、そして、植村裁判。様々な人々がスクラムを組んで闘って来たんだなと。

札幌はもう秋が深まっていました。大通公園の広葉樹が色づいています。朝夕は、かなり寒くなりました。でも、支えてくださっている人たちのお顔を思い浮かべると、心がぽかぽかしてきます。

たくさんの方に支えられ、いよいよ判決を迎えます。
歴史的な判決がでるよう、残された時間もがんばりたいと思います。

photo by 油谷良清