金学順さん自身がはっきり「強制的に連行」と語っていた!
記者会見映像と韓国紙記者の重要証言で明らかに
東京訴訟 植村、西岡両氏の本人尋問は9月5日に決定
東京訴訟の第12回口頭弁論が、4月25日午後、東京地裁で開かれた。
植村弁護団は、金学順さん自身が記者会見で「強制的に連行された」と語った重要な証拠を初めて提出し、被告側の「捏造」決めつけ根拠が崩れていることを、あらためてきびしく指摘した。
3時30分、103号法廷で開廷。植村弁護団は中山武敏弁護団長ほか12人が着席、札幌弁護団の小野寺信勝弁護士も後列に座った。被告側は喜田村洋一弁護士と若い男性弁護士のふたりだけ、法廷正面の裁判官席の原克也裁判長と左右陪席も、前回と変わりはない。定員が90人ほどの傍聴席はほぼ満席となった。
提出書面の確認のあと、植村弁護団の吉村功志弁護士が、提出証拠のうち金学順さんの発言に関わる4点の要旨を読み上げた。証拠4点は次の通り。
①1991年8月14日にソウル市で行った記者会見を報じた韓国KBSテレビのニュース映像と、その発言を正確に起こした反訳書、②その記者会見に出席した韓国紙ハンギョレの元記者金ミギョン氏の陳述書、③同じく韓国紙東亜日報の元記者李英伊氏の陳述書、④同日、記者会見に先立って単独インタビューをした元北海道新聞記者喜多義憲氏の陳述書
このうち、②③は植村弁護団が韓国での調査活動を重ねて手に入れた貴重で重要な証言だ。また④はすでに札幌訴訟第11回(2月16日)で陳述されているが、同様に重要な意味をもつために提出された。
吉村弁護士は、それぞれの証拠が持つ意味を、つぎのように説明した。
①韓国・KBSテレビのニュース映像とその反訳書では、金学順さんが「16歳ちょっと過ぎたくらいのを引っ張って行って。強制的に。」「逃げ出したら、捕まって、離してくれないんです。」と語っていることがわかる。金学順さんは、韓国語で「끌고 가서」(クルゴカソ)と述べているが、これは「引っ張って行って」、「引きずって行って」といった意味の韓国語だ。韓日辞書にも「泥棒を交番へ引っ張って行った」との例文があげられている言葉だから、文字数が限られており同義であればより短い言葉を使う新聞用語としては「連行して」と訳することが多い。また「 강제로」(カンジェロ)という韓国語は漢字で書けば「強制」という熟語に副詞化する「로」(ロ)という接尾辞が付いたものであり、「強制的に」という意味だ。【反訳全文は記事末に収録】
②ハンギョレ新聞元記者の金ミギョン氏は、この記者会見を現地で実際に取材した記者の一人だ。陳述書のなかで金記者は「金学順さんは会見で自己の経歴を示す言葉として『挺身隊』という言葉を使用しました」とはっきりと述べている。金記者が書いたハンギョレ新聞の記事には、「挺身隊」という記載はないが、その理由について金記者は陳述書で「挺身隊」と「従軍慰安婦」が違う意味であることを当時から知っていたため、「挺身隊」の代わりに「従軍慰安婦」という単語を使うべきだと考え「意図的に変えて書いた。」と証言している。
③東亜日報元記者の李英伊氏も記者会見を取材した記者の一人だ。赤い服を着て金学順さんの隣の席に座っているところがKBSニュース映像に映っている。陳述書のなかで李記者も「当時、金学順さんが記者会見で『挺身隊』という言葉を使ったのは間違いないことです。」と証言している。また当時の韓国では、「挺身隊」と「慰安婦」は一般的には同じ意味の言葉として使われており、自らも「挺身隊」という言葉は「従軍慰安婦」の意味だと思って使っていたと、証言している。
④北海道新聞元記者の喜多義憲氏は当時ソウル支局駐在記者で、記者会見の同日に金学順さんの単独インタビューをした。喜多記者は1991年8月15日付北海道新聞朝刊社会面記事で、金学順さんのことを「戦前、女子挺(てい)身隊の美名のもとに従軍慰安婦として戦地で日本軍将兵たちに凌辱されたソウルに住む韓国人女性」と紹介している。喜多記者は陳述書でも「金氏は私とのインタビューの冒頭、『私が挺身隊であったことを…』と言っていました」と明確に述べている。
▽以上の3人の記者の陳述書から、当時、金学順さんが自分自身のことを指して、従軍慰安婦という意味で「挺身隊」であったと述べていたことが明らかになった。またKBSニュース映像及び同反訳書により、金学順さん自身が、当時、強制連行されたとの事実を述べていたことも明らかになった。そうすると、植村さんが1991年8月11日付の記事で「『女子挺(てい)身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』」との記述は、金学順さん自身が述べた経歴を記事の前文として簡潔にまとめた記述ということになる。植村さんが、「金学順さんの述べていない経歴を付加したこと」、との被告らの抗弁は成り立たないことが明白となる。
以上が吉村弁護士の陳述要旨である。
この裁判で被告西岡氏は、植村さんの記事を「捏造」と決めつけた根拠として、「①金学順さんの述べていない経歴を付加した、②金学順さんの述べた経歴を意図的に欠落させ適切に報じなかった、③原告が本件各記事に関して利害関係ないし動機を有していた」と主張してきた。植村弁護団はそのすべてについて繰り返し反論をしてきたが、この日の陳述は①に絞り込んで、あらためて西岡氏の論拠の一角を根本から突き崩す重要なものとなった。
法廷ではこの後、今後の進行について原裁判長が双方の予定と希望を聞き、裁判官合議のためいったん閉廷。3分後に再開し、原裁判長は9月5日(水)に証人尋問を行うと述べた。
当日は午前10時半から正午まで、週刊文春竹中明洋記者の証人尋問、休憩をはさんで、午後1時半から4時半まで植村、西岡両氏の順で本人尋問が行われる。竹中氏は週刊文春の取材記者。「“慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」(2014年2月)と「慰安婦火付け役朝日新聞記者はお嬢様女子大クビで北の大地へ」(同8月)を書いた。
植村弁護団は竹中氏のほかに2人の証人尋問を申請しているが、裁判長は採否を明確にしなかった。
閉廷は午後3時50分だった。
【金学順さんの発言反訳全文=吉村弁護士作成】
「16살 조금 넘은 것을 끌고 가서. 강제로. 그 울고서.
안 나갈라고 쫓아나오면 붙잡고 안 놔줘요. 한번 분풀이 꼭 말이라도 분풀이 하고 싶어요.」
「16歳ちょっと過ぎたくらいの(私)を引っ張って行って(連行して)。強制的に。泣いて。出て行くまいと(連れて行かれまいと)逃げ出したら,捕まって,離してくれないんです。一度憤りを鎮めることを,必ず,言葉だけでも憤りを鎮めたいんです(恨みを晴らしたいんです)。」
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櫻井尋問でふたつの成果■報告集会で札幌弁護団小野寺弁護士が報告
裁判の後、報告集会が参議院議員会館で開かれた。参加者は約120人。会場の第1会議室はほぼ満員となった。
最初に神原元弁護士がこの日の弁論について報告。「きょう陳述した金学順さんの記者会見の発言は、初めての発言という意味でも重要だ。ふつう、事件や体験などを最初に語る時にこそ、ことの核心が簡潔に表現されるものだからだ」と語り、東京訴訟の見通しについては、「年内には結審し、来春には判決か」と語った。
つづいて、3月23日にあった札幌訴訟第11回口頭弁論について、傍聴したジャーナリストの安田浩一氏と札幌弁護団事務局長の小野寺信勝弁護士が、「櫻井よしこ氏が認めた自らの謝り」と題して、対談形式で報告した。
小野寺弁護士は「この日の裁判ではふたつの大きな成果があった。ひとつは櫻井よしこ氏に間違った記事の訂正を約束させたこと。もうひとつは、ネット世論が変わったこと。ネットで植村、櫻井のキーワード検索をすると、その9割が櫻井氏がウソを書いていた、などと出るようになった」と語った。
最後に報告した植村さんも、札幌での本人尋問を振り返り、「緊張したけれど、金学順さんの言葉と思いを胸に刻んで臨んだ。相手側弁護士は悪意に満ちていて私のことをズサンなどと言ったが、きちんと反論し、抗議した。裁判長も私の発言を制止しなかったことが印象的だった」と語った。
参議院議員会館で(午後4時30分~6時) |