2018年1月8日月曜日

コンサート反響続々

「植村隆さん支援・新春トークコンサート」に参加した弁護士の澤藤統一郎さんと東京造形大学教授の前田朗さんが、それぞれご自身のブログで感想を書いています。当日の会場の様子とステージの内容を伝える文章からは、おふたりの植村裁判への熱い思いと、ともに闘う強い決意が伝わってきます。その全文を以下に転載します。

澤藤統一郎
植村隆バッシング反撃訴訟の今日的な意

本日(1月6日)は、世田谷・成城ホールでの植村東京訴訟支援企画・「2018新春トークコンサート『忖度を笑う 自由を奏でる』(主催:植村訴訟東京支援チーム)に出かけた。招待券は1枚で、妻の席は当日券でのつもりだったが、400席が文字どおりの満席。暮れにはチケット完売で、電話予約も断わり、「当日券はありません」という事前のアナウンスもされていたそうだ。事情を知らず一時は入場を諦めたが、スタッフの厚意で何とか入れてもらった。

実感として思う。従軍慰安婦問題への世の関心は依然高いのだ。いや歴史修正主義者であるアベの政権のもと、従軍慰安婦問題は戦争の加害責任問題として忘れてはならないという市民の意識が高まっているのではないか。戦争の記憶継承の問題としても、民族差別問題としても、また報道の自由の問題としても、従軍慰安婦問題は今日的な課題として重要性を増している。
考えてもみよ。安倍晋三を筆頭とする右派勢力は、なにゆえにかくも従軍慰安婦問題にこだわるのか。その存在を隠そうとするのか、報道を押さえ込もうとするのか。メディアでも、教育でも、かくも必死に従軍慰安婦問題を封印しようとしているのか。

まずは、過ぐる大戦における皇軍を美化しなければならないからである。神なる天皇が唱導した戦争は聖戦である。大東亜解放の崇高な目的の戦争に、従軍慰安婦の存在はあってはならない恥部なのだ。大義のために決然と起った皇軍は、軍律正しく、人倫を弁えた存在でなくてはならない。だから、南京大虐殺も、万人抗も、捕虜虐待も、人体実験も、生物兵器の使用も、毒ガス戦も、すべては存在しなかったはずのもので、これがあったとするのは非国民や反日勢力の謀略だということになる。女性の人格を否定しさる従軍慰安婦も同様、その存在は当時の国民にとっての常識だったに拘わらず、あってはならないものだから、強引にないことにされようとしているのだ。

このことは、明らかに憲法改正の動きと連動している。9条改憲によって再び戦争のできる国をつくろうとするとき、その戦争のイメージが恥ずべき汚れたものであっては困るのだ。国土と国民と日本の文化を守るための戦争とは、雄々しく、勇ましく、凜々しいものでなければならない。多くの国民が、戦争といえば従軍慰安婦を連想するごとき事態では、戦争準備にも、改憲にも差し支えが生じるのだ。

本日の企画は、トークとコンサート。トークが、政治風刺コントで知られるパフォーマー松元ヒロさんで、これが「忖度を笑う」。そして、ピアニスト崔善愛さんが「自由を奏で」、最後に植村さん本人がマイクを握った。「私は捏造記者ではない」と、経過を説明し、訴訟の意義と進行を熱く語って支援を訴えた。熱気にあふれた集会となり、聴衆の満足度は高かったものと思う。
宣伝文句は、「慰安婦問題でバッシングされている元朝日新聞記者、植村隆さんを支援しようと、風刺コントで知られる松元ヒロと、鍵盤で命を語るピアニスト・崔善愛(チェソンエ)がコラボします。『自粛』や『忖度』がまかりとおる日本の空気を笑い飛ばし、抵抗のピアノに耳を傾けましょう。」というものだが、看板に偽りなしというところ。

ところで、植村隆バッシングに反撃の訴訟は、東京(地裁)訴訟と札幌(地裁)訴訟とがある。東京訴訟の被告は西岡力東京基督教大学教授と株式会社文藝春秋(週刊文春の発行元)に対する名誉棄損損害賠償請求訴訟。次回、第11回口頭弁論が、1月31日(水)午後3時30分に予定されている。

札幌訴訟は、櫻井よしこ、新潮社(週刊新潮)、ワック(月刊Will)、ダイヤモンド社(週刊ダイヤモンド)に対する名誉棄損損害賠償請求訴訟。次回第10回口頭弁論期日が、2月16日(金)午前10時に予定されている。

植村「捏造記者説」の震源が西岡力。その余の櫻井よしこと各右翼メディアが付和雷同組。両訴訟とも、間もなく立証段階にはいる。
植村従軍慰安婦報道問題は、報道の自由の問題であり、朝日新聞問題でもある。朝日の従軍慰安婦報道が右派総連合から徹底してバッシングを受け、担当記者が攻撃の矢面に立たされた。日本の平和勢力、メディアの自由を守ろうという勢力が、総力をあげて植村隆と朝日を守らねばならなかった。しかし、残念ながら、西岡・櫻井・文春などが植村攻撃に狂奔したとき、その自覚が足りなかったように思う。

いま、従軍慰安婦問題は新たな局面に差しかかっている。2016年年12月28日の「日韓合意」の破綻が明らかとなり、「最終的不可逆的」な解決などは本質的に不可能なことが明らかとなっている。被害の深刻さに蓋をするのではなく、被害の実態を真摯に見つめ直すこと。世代を超えて、その記憶を継承し続けることの大切さが再確認されつつある。このときに際して、植村バッシング反撃訴訟にも、新たな意味づけがなされてしかるべきである。

本日の集会の最後に司会者が、会場に呼びかけた。
「皆さん、『ぜひとも植村訴訟をご支援ください』とは言いません。ぜひ、ご一緒に闘ってください」
まったく、そのとおりではないか。
201816日)

前田朗■
立ち上がる勇気をくれた人々

「新春トークコンサート 忖度を笑う 自由を奏でる」(成城ホール)に参加した。
Ⅰ部 松元ヒロ ソロライブ
Ⅱ部 崔善愛 ピアノ独奏
Ⅲ部 植村隆✕崔善愛✕松元ヒロ

Ⅰ部はパントマイマー&コントの松元ヒロによるソロライブ。政治情勢を取り上げ、定番の「憲法くん」を演じた。<ザ・ニュースペーパ>結成が1988年だから、私はまもなく、30年、ザ・ニュースペーパーや、松本ヒロのソロライブを楽しんできたことになる。

Ⅱ部は崔善愛によるショパンの演奏であった。崔善愛の指紋押捺拒否の闘いも30年の歴史を刻む。演奏はショパンの、幻想即興曲嬰ハ短調、ノクターン嬰ハ短調<遺作>、バラード第1番ト短調、別れの曲ホ短調。最後は別れの曲だが、出会い直すための別れの曲だろう。この社会を編成し直すための別れの曲であろう。

Ⅲ部は座談会の予定だったが、植村隆の事件報告で時間がほとんどなくなった。「慰安婦」報道に難癖をつけられ、ネット上でさらし者にされ、猛烈な攻撃の中、家族への危害まで心配しながら、苦悩の日々を送らざるをえなかった植村自身の事件報告である。激流に翻弄されながら、過去の報道記録を徹底的に明らかにし、裁判闘争に打って出た植村の闘いである。
植村の慰安婦取材、政治家やメディアによる歴史修正主義の跋扈、そして植村バッシングの歴史も、同様に30年の出来事である。

安倍晋三の歴史攻撃、自由主義史観研究会に始まる歴史偽造、教科書攻撃、NHK番組改ざん事件、朝日新聞叩きも、30年の歴史になろうとしている。この30年の逆流の激しさをいまさらながらの思いで振り返った。
過去の侵略戦争と植民地主義の事実を抹消し、加害者と被害者を抹消し、新たな戦争策動に励む安倍政権に代表される日本政治と社会の腐敗はあまりにも深く進行している。愛国主義、軍国主義、排外主義、対米従属、嫌韓嫌日、ヘイト・クライム、ヘイト・スピーチの日本の歴史と誇りを掲げる反知性主義。その先は、2018年の明治150年、天皇生前譲位、そして2020年の東京オリンピックと憲法破壊である。
こうした流れの中に、植村隆の裁判闘争がある。事実を伝え、自由と平等を追求し、ヘイト・スピーチのない社会をつくるために立ち上がる勇気を、植村隆✕崔善愛✕松元ヒロの3人が教えてくれた。二次会懇親会でも、社会を壊し、民主主義を壊死させる反知性主義との闘いの厳しさと、必然性を、そして敢然と立ち向かう決意をジャーナリストたちが語ってくれた。
201816日)

※写真は、トークコンサートで報告する植村さん(1月6日、東京・成城ホール)