札幌訴訟の進行協議があった11月22日、報告集会が札幌市教育文化会館で午後6時半から開かれた。弁護団事務局長の小野寺信勝弁護士が証人尋問についての協議結果を報告した後、植村さんが韓国での3つのできごと(女子高での講演、日韓学生セミナー、ナヌムの家遺品館開所)をスライドを上映しながら語った。講演は、日本報道検証機構代表で弁護士の楊井人文さんが「フェイクニュース問題とは何か」と題して行い、誤報を検証し監視するファクトチェック組織が海外で大きく広がっている現状を紹介した。
楊井さんの講演と植村さんの報告の要旨は次の通り。
■楊井さんの講演
《フェイクニュース問題とは何か~「捏造」決めつけの背景に迫る》
▼ことしの流行語大賞の候補のひとつに「フェイクニュース」がなっているそうだ。フェイクニュースは偽装ニュースと訳されている。ウソのニュース、でっちあげ、などという意味でトランプ氏が使っている。単なる誤報ではなく、それを発信する側を非難する文脈で使われている。私には今もってよくわからないところがあり、フェイクニュースという語は極力使わないようにしている。
▼私は「誤報」問題をずっと扱ってきた。メディアが日々提供するニュースが正しいのかどうかは一般読者にはわからないことが多い。判断できるのはニュースの当事者か、専門家だ。私たちは誤報にさらされていることに気づかないでいた。日本のメディアには、訂正をしないという共通の病理がある。ニューヨークタイムスの訂正欄はいちばん目立つページにあり、毎日10本程度の詳しい訂正記事が載っている。
▼5年前に「GoHoo」というサイトを設立した。マスコミ誤報検証・報道被害救済サイトで、一般社団法人日本報道検証機構が運営している。これまでに700件あまりの指摘をしてきた。このようなサイトは日本にはひとつしかないが、海外では欧米、アフリカ、アジアで広がっている。現在136以上のサイトがあるといわれている。そこで使われているのは、ファクトチェックという言葉だ。私も、フェイクニュースではなくファクトチェックという言葉を使いたい。ファクトチェックとは、取材過程のチェックではない。見解・評価が正しいかどうかを判定することでもない。すでに発表された事実に関する言明の真偽・正確性を検証する活動だ。
▼ファクトチェックには人とお金も必要だが、まずネットワーク作りが必要だ。ことし7月、スペイン・マドリッドでファクトチェック国際会議「GlobalFact4」が開かれ、40カ国以上から約180人が参加した。この会議は、2015年に発足した国際ファクトチェックネットワーク(IFCN)が主催している。私も参加した。印象に残ったのは女性が多いということだった。既存のメディアが男性支配であることの反映だろうか。韓国ではことし3月にソウル大学にファクトチェックセンターが開設され、大手新聞や公共放送16社が活動に共同参加している。ファクトチェックの取り組みは先進国では日本がいちばん遅れている.
▼私は6月にファクトチェックイニシアティブ(FIJ)を設立した。FIJは、10月の総選挙で政治家の発言や新聞の報道、ネット上に流れた言説などの情報を扱った。松井・大阪府知事の発言(大阪では教育無償化を実現している)、産経新聞の報道(立憲民主党の新党結成要件に衆院解散後の前職はカウントされない)など22件ある。松井知事はその後、言わなくなった。産経は訂正したが、ネット上で広がったままで、それを使う人がいたりした。私たちのこのプロジェクトは朝日新聞の一面でも紹介されたが、それは名古屋本社版だけだった(笑い)。
▼朝日新聞社は、森友・加計学園問題についての報道を「戦後最大級の報道犯罪」と書いている本の著者と出版社に対して抗議・訂正の申し入れを送り、同社のサイトで公開した(11月21日)。16カ所に及ぶ記述を事実誤認、名誉棄損とし、具体的に反論している。(同じようなことは)これまではほったらかしにして、まわりまわって蒸し返されたりした。その教訓だろうか、きちんと出すことはいことだし、重要だ。
▼ジャーナリズムでは捏造と盗用をすれば一発退場だ。ファクトチェックせずして、偽ニュースを語るなかれ。植村さんは捏造と決めつけられたが、捏造という決めつけ表現は、よほど慎重に調査してやらなければならない。安易に使ってはいけない。
■植村さんの報告《韓国2017秋》
▼カトリック大学のある地元、プチョン(富川)市の冨川女子高校に招かれて講演に行った。校舎に入ると階段に沿って「少女像」のポスターがたくさん掲示されていた。よく見ると有名な少女像の顔ではなく、生徒たちの顔であることに気がついた。生徒たちは慰安婦問題を自分自身のこととして重ね合わせて考えているのだ、ということがわかった。講演の後、記念撮影やサイン会で盛り上がった。約100人の生徒たちから送られた1冊の寄せ書きノートには、私へのメッセージや上手な似顔絵がびっしりと書かれていた。
▼ジャーナリストをめざしている学生たちが日本からやって来て、韓国の学生と交流するセミナーが開かれた。日本ジャーナリスト会議や新聞労連の有志が企画した催しで、私はコーディネーター役を務めた。11月1日から5日まで、ソウルの新聞社見学やソウル市長インタビュー、板門店取材などを行った。慰安婦だったハルモニ(おばさん)たちが暮らすナヌムの家も訪問し、つらい体験談に学生たちは耳を傾けた。日本からの参加学生は24人で、うち4人が中国人留学生だ。日中韓の若者たちが語り合う5日間のセミナーだった。このような交流から生まれるものに私は期待したい。
▼ナヌムの家に遺品館が作られ、11月18日に開所式が行われた。ナヌムの家で亡くなったハルモニの思い出の品や似顔絵が展示されている。アンネ・フランクは日記を残すことができた。日記を残さないハルモニたちは、ここで、みなアンネになった。慰安婦の記憶が遠ざけられようとしているいま、こうして記憶をつないでいくことが大事だと思う。日本からもたくさんのボランティアが訪れていた。札幌から来た看護師さんはハルモニの身体をリフレクソロジーでマッサージして喜ばれていた。
<楊井講演、植村報告とも、ブログ管理人H.Nがまとめました。文責はH.Nにあります>