12月14日午後、第7回口頭弁論の後、報告集会が参議院議員会館で開かれ、72人の参加がありました。集会での4人の発言(要旨)を順に収録します。※発言記録の文責はすべてブログ管理者にあります
神原元・弁護士(東京訴訟弁護団事務局長)
▼この裁判で訴えているのは名誉毀損です。名誉毀損とは、その人の社会的評価を低下させる行為、とりわけ「あいつは噓つきだ」「犯罪を犯した」と事実をあげて社会的評価を低下させる行為です。他方、植村さんが受けた被害はそれだけではない。大学にたくさんの嫌がらせのメールやファクスが来る。娘さんの写真がネットにさらされ誹謗中傷される。学生を痛めつけると脅迫状が送りつけられるという被害です。これは犯罪行為であり、社会的評価を下げるわけではないが、文藝春秋は「それはうちのやったことではない。因果関係がない」といっている。
▼こういうやり方、攻撃は非常に増えています。私は在特会との訴訟もやっているが、「電凸」というのがある。電話突撃の略称で、プライバシーをネットでさらして嫌がらせを集中させ、その人を社会的に葬るというやり方です。「電凸」とか「炎上」とか「燃料投下」ともいう。彼らは「言論活動だ」「抗議活動だ」「因果関係はない」と言う。文藝春秋の手口もよく似ている。慰安婦問題は議論しましょう、と言いながら、20何年か前に朝日で記事を書いた記者がいまどこに勤めているか、を書く必要があるのか。個人を社会的に抹殺するために有効なのは勤務先を攻撃することなのです。その個人は確信がもっているから、本人を攻撃しても痛めつけられない。そこで、職場を攻撃し、家族を攻撃する。そうやって本人を痛めつける。
▼きょうの弁論では、名誉毀損とは別に、「平穏な生活に対する侵害である」という理論構成を主張しました。これは、提訴当時から弁護団内部で議論をしてことですが、きょう初めてクリアにして主張をしました。裁判例では、平穏な生活の侵害であるといろんなことを取り込んでいますが、わかりやすいのは空港の騒音被害、あるいは工場による粉じん被害。犬の鳴き声とかピアノの音とか、近くに葬儀場ができたとかというのも、平穏な生活の侵害だとしている。植村さんへの攻撃がこれにあたらないわけがない。
▼もうひとつ新たに主張したのは、共同不法行為です。大学に対してファクスやメールで嫌がらせしたり脅迫状尾を送るのは不法行為であり、文春の記事も不法行為であり、この二つは共同不法行為であるという主張です。共同不法行為は裁判ではかなり広く認められていて、あっちの工場とこっちの工場の煙突からそれぞれ煙が出た、どっちの煙で被害を受けたか分からない、そんなときにどっちの責任も認める。刑法の共犯よりも幅広く認める。本件でのメールやファクスはみな文春の記事を引用している。文春の記事が出たとたんにメールやファクスが殺到したのだから、共同不法行為を構成するとして文春に責任を負わせる。責任がないというわけにはいかないでしょう。
▼準備書面はこちらが毎回50ページから80ページのものを提出しているが、向こうは5ページから10ページで、やる気がない。これまでの到達点として申し上げると、「捏造記者ではない」との論証は尽きている。さらに「生活への侵害」という主張も始めており、これも主張としては完成しつつある段階です。この共同不法行為を中心とした法律理論は、大学の先生に意見書をお願いした。これが認められるとほかにも応用が利く理屈、理論になるので、新たな判例を作るくらいの勢いでしっかり論証したい。
秀嶋ゆかり弁護士(札幌訴訟弁護団)
▼今朝の飛行機で来ました。札幌は70センチの雪が降りました。東京は暑いですね。
札幌訴訟は、櫻井よしこ氏、新潮社、ダイヤモンド、ワックを被告に提訴し、ことし4月に第1回弁論、あさって16日に第5回弁論が予定されています。札幌の裁判長は「みなさん、拍手は心のなかでしてください」などと言い、ざっくばらんです。心証もストレートに言いますし、詰めるところは詰めるという裁判長です。この裁判長のもとで、判断まで行きたいと考えています。
▼被告側の主張がようやく整ったところです。こちらが、どこが名誉毀損表現なのかという特定をやって、9月30日までに被告が反論をするということでした。ところが櫻井さんが書面を出してこない。他の被告の書面を援用するという意味か、と聞いたら、そうだ、という。ワックのは意味がよくわからない書面だったので、裁判所が「整理します」と表にした。それも含めて桜井さんは「援用する」という。ある意味、やる気がない。裁判所の判断に強い信頼を置いているというか……。そういう対応ならこちらの主張を組み立てて出そうと準備しています。きょうの裁判で神原弁護士は損害論についての主張を補充していましたが、私たちも損害論については年度内に間に合わせる形で準備しています。
▼名誉毀損の訴訟は、どこまでが事実摘示でどこからかが論評か、というやりとりに圧縮される傾向があります。いまの裁判体も、どこまでが事実でどこからが論評かと整理して表にまとめようとしています。 しかしジャーナリストと銘打った櫻井さんが表現したことの意味、表現の自由の範疇といっていることの違法性をきちんと主張しなければならないし、裁判所に理解してもらって判断してもらおうと考えています。東京と平仄(ひょうそく)をあわせて連携し、進めていきます。
崔江以子(ちぇ・かんいぢゃ)さん
▼川崎の桜本からまいりました。先日、ほかのシンポジウムで今日の会のことを知り、お礼を伝えたいと思ってまいりました。私がたたかっているヘイトスピーチと、植村さんのたたかいは、いわれなき被害に遭っているという点では同じです。植村さんのたたかいから勇気をいただいていたので、お礼を伝えたいと思っていました。
▼私の暮らす桜本では2013年から13回、ヘイトデモが行われました。参加者が、「ゴキブリ、たたき出せ、死ね、殺せ」といってデモをする。大変おそろしくて、ずっと回避していた。ところが昨年11月、私たちの暮らす桜本に来るという予告がありました。桜本でともに暮らすという共生の町を破壊する行為だということで、路上に立ちました。大変つらい、ひどい思いをしました。中学生の息子の前で「死ね、殺せ」といわれました。息子は、母親が大人から死ね、殺せといわれて、それを警察から守ってもらえない、という体験をしました。行政機関に対応を訴えました。ところが行政は、根拠法がないから具体的な対策を講じられない、と助けてくれませんでした。
勇気をもらって反ヘイト運動の先頭に |
▼死ね、死ね、とあまりいわれると、生きるのをあきらめたくなってしまうことがあります。息を吸って暮らしていることをあまりに攻撃されると、そうなのかと思ってしまう。このままでは、在日1世のこれまで苦労をしていまようやく豊かな生を送っているハルモニを、そして子どもたちを、守れない。神原先生に代理人になってもらって国に人権侵害の申告をしました。国会に参考人として呼ばれました。被害を語り届けました。その思いが届き、国会議員が桜本にやって来ました。この町での大変な人権侵害を現場で聞き、何とかしなければと言うことになって、法律ができました。
▼法律ができたことで、川崎市長はヘイトデモに対して公園使用を不許可としました。その法律を根拠に、裁判所で仮処分決定が出た。法律の実効性が示され、司法や行政判断でヘイトデモから守られました。ところが被害を訴えた結果、ネット上でたくさんの攻撃を受けました。先週末、ネットで私の名を検索したら110万件とヒットした。ネット上の攻撃で、1件1件しっかり傷つきました。子どもは写真を用いられ、名前をさらされ、中学校名もさらされ、異常な攻撃をうけました。日本から出て行けとか民族のルーツを否定するような。ツイッター、ユーチューブ。ネット社会で彼の学校のみなが知る。ネットでどんどん拡散します。
▼ネットのヘイトに対しては、しかたがないとか見ないほうがいいとかどうにもならないという考え方がありました。そんな苦しい夏のとき、うれしいニュースがあった。植村さんの娘さんの裁判の勝利でした。娘さんが裁判でたたかって、2年費やして勝った。娘さんのコメントに「ネット上の闇のなかの希望になりたい」とありました。娘さんの裁判の勝利に勇気づけられ、勇気をもらって、法務局に人権侵犯の申告をしました、行政機関に助けてくださいと、ネット上で人権侵害を受けていると。法務局がインターネットの運営会社に削除要請し、削除されました。
▼被害を受けて、たたかいのステージに立ち、負けないというのは厳しい。でも、当事者が負けない社会がある。その社会を支えるみなさんがいる。植村さんのことをシンポジウムで聞いたとき、植村さんが攻撃を受け、大学で守る会の活動が始まり声を発するまでの孤独や孤立、厳しい日々を思い、想像し、胸が張り裂けそうでした。私も負けないことで支えたい。植村さんは司法で、私たちは行政できちんと勝って、声をあげたものが負けないんだということを示して喜び合えることを信じて、たたかいたいと思います。
植村隆さん
▼きょうは、ことしこれまでに私がやってきたことを中心にお話しします。
きのう夕方、大学で「東アジアの平和と文化」という講義を終え、午後11時発の最終の飛行機で羽田に着きました。ベンチで休むわけにもいかないのでカプセルホテルに泊まり、きょうは朝からこの集会用にパワポでレジュメをつくっていましたが、最後のスイッチを押したところで全部消えてしまった。神様が「植村、調子に乗るな」ということだと勝手に解釈しました。大きな被害でしたが、なんとか復旧しました。
▼岩波書店から2月に出した「真実 私は捏造記者ではない」は韓国で翻訳本も出ました。韓国では私を捏造記者という人はおらず、むしろ「韓国人の代わりにやってくれて申し訳ない」と言われます。韓国で本が出たことで、多数のメディアが報道してくれました。ジャーナリズムスクールの学生の取材、「支える会」のブログの紹介、 「時事IN」というサイト、そしてテレビニュース、週刊雑誌「スクープ」。いろんなメディアが好意的に伝えてくれました。地方の大学の学生が来て、研究室でインタビューしていったこともあります。
▼どこに行っても歓迎されています。聖公会大学という大学で、学生がシンポジウムを開いて私を呼んでくれた。老若男女に呼ばれ、学生、社会人、研究者、さまざまな人が声をかけてくれている。市役所職員に公演をする予定もあります。大学での授業は、東アジアの平和と文化をテーマとしています。金大中氏の生涯、南北交流、南北共同宣言、そして詩人尹東柱。日本留学中に投獄され亡くなった悲劇の詩人の詩を読む。それと布施辰治さん。戦前の人権派弁護士で朝鮮人のためたたかった弁護士、自由法曹団のルーツを作った人です。この人が植民地時代に迫害を受けた人の弁護のために朝鮮まで行ったドキュメンタリー番組を見せたりもしています。いま日韓関係で日本の歴史認識問題がいわれて、日本からの留学生は元気をなくしている。しかし布施辰治のような日本人がいたことを話すと、日本人学生は元気になるのです。
▼しかし、教えるということは、学生たちからいろんなことを教わるということでもあります。いま、スマホを2つ使っています。ガラケーを日本で使っていて、韓国では使っていなかった。スマホは電話を受けるだけに使っていた。そうしたら、学生がそれじゃダメだ、と。それでいろいろいじってくれて、世界中のネットラジオが聴けるようにしてくれたり、スマホで写真をとってネットで送れるようになった。圧倒的に早い。スマホっていうのは電話じゃない。パソコンだということにやっと気づいた。スマホの二丁拳銃で私の発信力は高まりました。教えるということは学生から学ぶということです。
▼私は朝日新聞の記者になって5年目の1987年、韓国の延世大学に語学留学生として1年間派遣されました。人生で最良の時期でした。いろんな人と会って韓国語を学びました。87年は軍事政権から民主化へと大きく変わった年でした。民主化の柱は3つあった。1つは大統領を直接選ぶこと。17、8年間、朴正熙時代には直接選挙をやめていた。それを直接選挙にした。2つ目は言論の自由。3番目が金大中さんの権利回復でした。
▼その10年後、私は特派員として韓国に行っていた。そして、金大中さんに会い、金大中さんが大統領に当選した記事を書いた。日韓首脳会談で小渕さんが過去の植民地支配をわびて、未来志向の流れをつくった。金大中さんは日本の大衆文化を開放した。それまでは認められなかった日本の映画が入って、そこから韓国の映画が発展して冬ソナブームが起きた。そして、朴槿恵さん。当時、日本の記者で私が最初にインタビューしたと思う。父だけでなく政治家としての彼女が問われている、と書いた。朴槿恵大統領はカリスマで人気があったが孤独な人です。父も母も暗殺され、人を信じない。しかしいま、国政のかじ取りができなくなって、こうなっている。
▼毎週、ロウソクデモに行っています。国会前のデモの最前線、昔なら催涙弾が飛んできましたが、いま警察は、催涙弾も水鉄砲も撃てない。人々はロウソクの力だけで世の中を変えている。私は大変な現代史の現場に今、ジャーナリストとして立っています。出会いがあって、カトリック大に呼ばれて、また新たな出会いがあって、時代を見ることができる。いい機会を得たと思っています。カトリック大学は1年契約でしたが来年もやれということになり、来年も勤めることになりました。
来年は2017年、また7の年です。来年も忙しいですが、ぜひみなさんの力を借りてたたかい抜いていきたい。