日本ジャーナリスト会議(JCJ)が月1回発行している新聞「ジャーナリスト」2016年10月25日号に植村隆さんの韓国報告が掲載されました。今年3月から赴任している韓国カトリック大学(富川市)での講義の風景や、韓国語版手記『私は捏造記者ではない』(プルンヨクサ=青い歴史)出版のきっかけとなった韓洪九(ハン・ホング)聖公会大教授との出会い、手記出版を契機に広がった人脈など、韓国での最近の出来事が描かれています。ほのぼのとした授業風景の写真も添えられています。
植村さんの署名記事を「植村隆のソウル通信」の臨時版として、以下に転載します。
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韓国カトリック大学(富川市)での講義は週1回、題名は「東アジアの平和と文化」。火曜日に50分授業を3回連続で行う。
後期の受講生は30数人で、日本からの留学生も4人いる。「新聞活用」や「平和と人権」をテーマに韓国語で講義をしている。
新聞は民主主義のインフラだ。しかし、若者が新聞を読まないのは韓国でも同じ。新聞を読む習慣をつけてもらいたいと考えた。毎週無償で提供してもらっている「韓国経済新聞」の記事を読み、意見発表をする。宿題は新聞記事のスクラップだ。中には数紙を読み比べる熱心な受講生もいる。
10月11日の「平和と人権」の授業では、戦時下に治安維持法違反で有罪判決を受け、福岡刑務所で獄死した韓国の詩人、尹東柱(ユン・ドンジュ)の詩を読んだ。次週はソウル市麻浦区にある金大中図書館を見学する。
キャンパスの外でも、様々な人々との出会いがある。その一人がヒゲの歴史学者として知られる韓洪九(ハン・ホング)聖公会大学教授だ。その出会いが、韓国の出版社「プルンヨクサ(青い歴史)」から手記『真実 私は「捏造記者」ではない』(岩波書店)の韓国語版を出すきっかけになった。
翻訳者は韓国紙「ハンギョレ」の東京特派員、吉倫亨(キル・ユンヒョン)記者。吉氏は札幌にも取材に来るなど熱心に植村バッシング問題に取り組んでいた。
バッシングの激しかった2014年当時、私は「捏造記者」ではないという説明資料を詰め込んだキャリーバッグを持ち歩いていた。訳者あとがきで、吉氏は「バッグを引きずりながら、身を切るような寒さの中、札幌のススキノをとぼとぼ歩く彼の姿がさびしく思え、涙が出そうだった」と書いていた。それを読んで、あの頃を思い出し、目頭が熱くなった。
吉氏はこう結論づけている。
「結局、植村バッシングとは慰安婦問題の本質を理解し、正しい解決方法を諦めた日本社会が、慰安婦問題を初めて記事にした人物をスケープゴートにして、理性を失ったバッシングを浴びせた現象とするしかない」。
韓国語版発行を記念して、9月26日にソウルで記者会見が行われ、東亜日報、朝鮮日報、京郷新聞、聨合ニュースTVなど10人以上の記者が集まった。各誌が大きく報じ、ケーブルテレビなどでも紹介された。1週間の間にマスコミが取り上げた本の中で第4位だという。これまで漢陽大学や高麗大学で講義をしたが、この出版ニュースで学生たちからも声がかかるようになった。忠清北道にある世明大学ジャーナリズムスクール、ソウルの聖公会大学でのシンポで話をすることになった。
植村バッシングという苦難は、韓国でも「出会い」という恵みを与えてくれた。
植村隆(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)
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