2016年8月25日木曜日

植村さんの津市講演

植村隆さんが三重県津市で行った講演「歴史修正主義と闘うジャーナリストの報告 ―私は『捏造記者』ではない」を会員制ネットメディアIWJ(Independent Web Journal)がアップしています。この講演は、「報道と表現の自由を考える三重県集会実行委員会」が主催し、津市市民活動センターで8月21日(日)午前10時から行われたものです。

◆講演要旨は「IWJエリアチャンネル」に連続ツイート方式でアップされています。 
◆動画は約5分間のハイライト映像がアップされています。

以下に、連続ツイートの全文を引用します。引用にあたっては、ツイートの逆順に並び替え、改行と段落を付しました。
おことわり:一部に誤りがあり、8月26日に追記と訂正(下線部)をしました。

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<引用開始>

植村氏 私は現在、韓国カトリック大学校の客員教授をしています。植村バッシングとは、私が25年前、朝日新聞の大阪社会部時代に書いた記事『韓国慰安婦が証言を始めた』が元で、今、大バッシングを受けていることです。

20141223日、TBS『ニュース23』が植村バッシングを特集。当時のアンカー、岸井成格氏が『一連の圧力の背景に、歴史の事実を書き換えようとする勢力がいる』と的確なコメントをされた。結局、岸井氏も番組を追われてしまいました。

バッシングは嫌がらせメールや電話にとどまらず、『マンガ大嫌韓流』にも。『植村隆の罪は吉田清治にも劣らない』『靖国神社の英霊たちの前で土下座させる』と。吉田氏は、日本軍が慰安婦にするため女性を強制的に連行した、と証言した人です。
朝日新聞はこの吉田証言を元に、16本の記事を掲載。だが、20148月、真偽が確信できないとして、それを取り消した。当時、私が勤めていた北星学園大学には、『反日ねつ造記者は、死をもって償え』などの投書がありました。

しかし、私は吉田証言で記事は書いていない。書いたのは慰安婦の証言記事です。1991811日、朝日新聞の大阪社会面に『元朝鮮慰安婦ー思い出すと今も涙』と題し、韓国の団体が元慰安婦に聞き取り調査をしていることを書きました。記事の前文『日中戦争や第二次大戦の際、女子挺身隊の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた朝鮮人従軍慰安婦のうち、1人がソウル市内に生存していることがわかり、韓国挺身隊問題対策協議会が聞き取り調査を始めた』。
『同会のユン代表によれば、この女性は満州生まれ。17歳の時、騙されて慰安婦にされた』。元慰安婦が、戦後、半世紀たってやっと証言を始めたという記事です。慰安婦にされた女性たちは沈黙を守っていたので、これは画期的でした。

彼女たちは、自分の被害体験を克明に話すことはありませんでした。199066日、日本では衆院予算委員会で労働省局長が、『慰安婦は民間業者が軍と共に連れ歩いた。民間業者の仕業だ』としていた。
新聞記者時代の私は人権問題をテーマにし、大阪の在日コリアン問題を追っていました。当時、在日コリアンは就職などで差別を受けており、彼らの権利が侵害されることは、日本人にとっても幸せではないと考えたからです。

19908月、私は韓国に2週間滞在し、元慰安婦に話を聞こうとしましたが、誰も話してくれません。その時、取材した太平洋戦争犠牲者遺族会で、妻になる女性に出会います。韓国人の妻がいることも、私へのバッシングを加速させた。
1991年夏、朝日新聞ソウル支局長から、韓国挺身隊問題対策協議会が元慰安婦の聞き取り調査をしてテープもある、と聞いた。そこで取材に行き、証言をした金学順(キム・ハクスン)さんには会えなかったが、1本目の記事を書きました。

その後、1125日に韓国の弁護団の聞き取り調査に同席。1225日、朝日新聞の大阪版にだけ2本目の記事を掲載。これもあとで、『キムさんが14歳の時にキーセン学校に入学、芸人を目指したことを書いていない』と非難された。
キーセン学校と慰安婦は関係ないから書かなかっただけ。その記事の3日後、キムさんが実名で証言。その姿は韓国のドキュメンタリー映画に残っている。インドネシアで強制連行されたオランダ人女性も、キムさんに勇気づけられ証言した。

私の記事の主旨は、キムさんらが証言を始めた、ということでした。しかし、私へのバッシングの最大の契機になったのは、201426日号の週刊文春に掲載された『“慰安婦捏造” 朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に』という記事です。
文春は『植村氏の記事をきっかけに、朝日新聞は慰安婦問題を次々と取り上げ、元陸軍軍人(吉田氏)の証言を根拠に、日本軍による強制連行があった、との主張を大々的に展開。これに韓国世論が激高する』と書きました。
『韓国世論が激高したので、日本政府は根拠のないまま、1993年の河野談話を発表。日本政府が強制連行を認めたと世界に印象づけ、今日まで日本がいわれなき批判を浴び続ける事態を招いた』として、私を糾弾したのです。

慰安婦報道が私から始まった、というのはまったくのウソで、80年代から松井やより記者が書いています。それに、朝日新聞の記事は韓国で紹介されていない。キム・ハクスンさんが世界に向かって発言したので、韓国世論が注目したのです。
それを歴史修正主義者が巧妙に歪曲した。植村・朝日バッシングをやる人たちは同時に河野談話も断罪する。河野談話は、199112月から日本政府が関係省庁の資料を調べ、元慰安婦、軍人らに聞き取り調査をしてまとめたものです。
河野洋平官房長官は、慰安所は軍当局の要請により設置し、旧日本軍が直接、間接に関与したと認め、意志に反し連行された多数の女性の名誉、尊厳を傷つけたとして謝罪と反省を表明。将来にわたり記憶にとどめる、と語っています。

バッシングする人たちは、私や朝日新聞、河野談話を糾弾するが、日本政府が調査して、謝罪、反省することが、なぜ、日本を貶めることになるのか? ここが、歴史修正主義者の大きな問題です。

東京基督教大学教授の西岡力氏は、朝日新聞の報道には、後に重大な誤りがあったことが判明した、と言う。『植村氏の記事には、挺身隊の名で連行されたとあるが、挺身隊は勤労奉仕をする組織だ』と主張しています。
西岡氏は『女性(キム氏)は親に身売りされたと訴状に書いたが、植村氏はこうした事実には触れずに、強制的と書き、ねつ造記事といっても過言ではない』と。しかし、当時の韓国では、慰安婦を女子挺身隊と呼んでいたのです。
身売りされた件は訴状にも書いていないし、韓国の取材にも答えていません。19848月の朝日新聞の記事では『挺身隊、または軍慰安婦』と表現。19878月の読売新聞も『昭和17年以降、女子挺身隊の名のもと』と書いています。
『日韓併合で無理矢理、日本人扱いをされた朝鮮の娘たちは、多数、強制的に戦場に送り込まれた。彼女たちは、砲弾の飛びかう戦場の仮設小屋や塹壕のなかで、1日に何十人もの将兵に体をまかせた』と、読売も同じ言い回しをしている。

日本で最初にキムさんを取材した北海道新聞ソウル特派員の19918月の記事は『日本政府は責任を。戦前、女子挺身隊の美名のもとに従軍慰安婦として、戦地で日本軍将兵たちに陵辱されたとソウルに住む韓国人女性が挺対協に名乗り出た』と。
1991123日の読売新聞も、韓国人被害者35人が日本政府を相手取り総額7億円の被害請求訴訟を東京地裁に起こしたという記事で、『従軍慰安婦で提訴へ。第二次大戦中に女性挺身隊として強制連行』と書いています。
当時の韓国では『慰安婦』より『挺身隊』と言っていたのです。私の記事がねつ造ならば、北海道新聞も読売新聞も同じだ。(歴史修正主義者は)一部分だけを取り上げて、慰安婦の存在を否定しようとする。

バッシングする人たちは北海道新聞や読売新聞は攻撃しない。西岡氏は、あたかも強制連行があったように書いたと批判。産経自身も199112月、提訴したキムさんの記者会見を取材しています。<一部削除>
その時の産経の記事は、『キムさんが日本軍に強制的に連行された。日本の若者たちに過去の侵略の歴史を知ってもらいたい、日本政府は従軍慰安婦の存在を認め、謝罪して欲しいと強く訴えた』と書いています。
『キムさんは、17歳のとき日本軍に強制的に連行され、中国の前線で軍人の相手をする慰安婦として働いた』。見出しは『日本政府は謝罪を。若人に知って欲しい』です。素晴らしい記事ですよね。新聞記者は、事実の前では皆同じです。

特に90年代の大阪の産経新聞記者は、非常に熱心に人権問題に取り組んでいて、連載シリーズは関西の有名な報道関係の賞まで受けています。強制連行であれ、人身売買であれ、戦場に連れ出され、慰安婦をさせられたことが問題なんです。
今、産経新聞や読売新聞は『強制連行はなかった。慰安婦は商行為だから謝罪する必要はない』と誘導しているんです。これが本当の歴史修正主義者のやり方です。植村が強制連行をこじつけた、というのが彼らの言い分です。

週刊文春が『植村の記事はねつ造』と報じた時、朝日新聞は沈黙していました。私は、そういう態度の会社に憤慨しました。ねつ造と言われた記者は、死刑判決を受けたも同然です。私は、社から事情聴取を何回も受けました。
201485日、朝日新聞は『(植村氏の)記事に事実のねじ曲げはない』と結論づけた。第三者委員会報告書でも『縁戚関係(義母)を利する目的で事実をねじ曲げたとはいえない』とねつ造を否定しました。
ただし、『強制的に連行されたという印象を与え、安易かつ不用意な記載があった』とした。これには承服できない。産経新聞、読売新聞が『強制的に』としたんです。それで、西岡氏のほか、櫻井よしこ氏も私を攻撃してきた。

彼らは『社会の怒りを掻き立て、暴力的言辞を惹起しているものがあるとすれば、それは朝日や植村氏の姿勢』だとバッシング。読売新聞も、キムさんがキーセン学校に通っていたことを植村氏は書いていないと、3回も攻撃している。
しかし、同じ紙面の慰安婦問題検証記事では『読売新聞はキーセンの経歴に触れていなかった』と書く。だから、『ねつ造記事』は言いがかりです。それで私が裁判を起こすと、ジャーナリストなのに、なぜ、裁判に頼るのかと、また叩く。

朝日新聞がねつ造を否定し、これですべて解決したと思った。支援者もとても喜んでくれた。ところが朝日新聞の同じ紙面で、吉田清治氏の記事を取り消した。それでまた、私への激しいバッシングが復活し、さらにひどくなったんです。
自分の娘の顔写真までインターネットに晒された。本当に耐えられなかった。私は、支援者の支えで何とか立ち直ることができたんです。20151月、保守的な月刊『文藝春秋』に手記を書きました。それでも真実は伝わらない。

私をバッシングする西岡氏、櫻井氏たちは、私の言い分をきちんと聞いていない。自分たちに都合よく解釈し、徹底的に叩く。訴訟の目的は、家族への攻撃を止めること。また、私の記事への攻撃は、慰安婦の尊厳を傷つけるのと同じなのです。
言論の自由、報道の自由、大学の自治という、日本が戦後70年守り続けてきた民主主義に対する攻撃です。私は読売新聞北海道支社のインタビューに応じ、仲間たちは懸念しましたが1人で乗り込みました。向こうは5人で待っていました。
カメラマンと2人の地元記者、政治部、社会部の記者です。私がキーセン学校の件を聞くと、彼らは全部の記事を読んでいないという。では、なぜ、そういうことを書くのかと尋ねると、読売の記者は何も答えられなかった。

産経新聞とは2時間のインタビューで徹底的に闘いました。彼らは『強制連行、挺身隊について書いたことについては間違いだった』と言い訳をしながら、のちに『キム氏の証言は次々に変遷、信ぴょう性が揺らいだ』と記事にした。
でも、変遷したことを立証しない。恥をかいたのは産経新聞だ。それで質問状を送ると『個別の記事に関することにはお答えできません』と返してきた。読売新聞は記事にすらしなかった。つまり、記事にしたら不利になるからです。

朝日新聞が彼らのような答え方をしたら、袋だたきです。バッシングは、最初、怖かった。でも、今は歴史修正主義者と闘っています。1997年に『新しい歴史教科書をつくる会』『日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会』が発足。安倍晋三議員が事務局長で、その頃から西岡氏が『ねつ造』発言を始めた。つまり、河野談話、村山談話などで歴史を直視したら、歴史修正主義者たちの反動が起きた。どんどん慰安婦問題を削除しはじめました。
2001年、NHKの番組『女性国際戦犯法廷』に政治家が介入、番組内容が改変されました。2010年、山田宏参議院議員が私の国会招致を求める、という記事が産経新聞に載る。2014年、櫻井よしこ氏は、朝日新聞を廃刊にすべきと発言。

ジャーナリズムの弾圧が、ジャーナリストから起こっている。私は歴史修正主義者の標的になり、慰安婦問題は教科書から削除。NHK、朝日新聞への弾圧。戦後民主主義の破壊です。バッシングをする人たちの共通項は、改憲勢力ということ。
リベラルなジャーナリズムを潰し、憲法を変えようとしている。私の件は世界からは注目されていますが、報道の自由は悪化している。国連『表現の自由』特別報告者のデビット・ケイ氏からはヒアリングを受けました。

2016424日に出た暫定報告では、『慰安婦問題を報じた元朝日新聞記者・植村氏とその娘に対し、殺害予告を含む脅迫が加えられた。当局はもっと強く非難すべきだ』と。現在は、多少、状況は改善しました。
弁護団がボランティアで立ち上がってくれた。ツイッターに娘への誹謗中傷を書き込んだ男性の裁判にも勝ちました。娘は本当に辛い思いをした。精神的苦痛100万円を弁護団は要求したが、裁判官は200万円とまで言った。
今後も札幌と東京で自分の裁判があり、苦しい闘いはまだまだ続きます。ご支援、協力をお願いいたします。 

(ここから質疑応答) 
質問者「慰安婦は本当にいたのか。真実とは何か。追求してほしい」
植村氏 強制連行したという書類を、首謀者が残すでしょうか。慰安婦問題を否定する人たちの一番の問題は、元慰安婦の証言を信用しないことです。1993年の河野談話は、日本政府が調査をして発表したのに、後から信用できないと否定し始めた。
これは国際的にもおかしいと言われている。河野談話のあとも、いろいろ資料が見つかっている。ちゃんと調査をすればいい。アメリカの研究者は連名で『歴史家の中には、慰安婦は日本軍が直接関与したのかと異論を唱える方もいます。しかし、大勢の女性が意思に反して拘束され、暴力を受けたことは、すでに資料と証言が明らかにしている。特定の用語に焦点を当て、狭い法律的な議論を重ねることや、被害者の証言に反論するために極めて限定された資料にこだわることは、被害者が蒙った残忍な行為から目を背け、非人道的制度を取り巻く、より広い文脈を無視するに他ならない』と主張。強制連行があったかどうかではなく、たくさんの被害者の証言ときちんと向きあうことが大事だということなんです。
その証言と向きあわず、瑣末な問題ばかりに目を向け、被害者の尊厳を踏みにじっていることがおかしい。 
司会者「今まで当たり前にできた改憲反対などの集会を、行政はバックアップしなくなった。または、横やりが入って中止になる。植村さんのバッシングと重なる部分があるのでは」   
植村氏 植村バッシングも、政府の見解や歴史修正主義に反する言動を封殺しようとする根っこは同じ。いろんな意見があっていいが、事実を歪曲したり、ねつ造する行為は許されない。
彼らは匿名で批判や誹謗中傷をする。行政や大学は萎縮する。非常に危機感を持っています。今、記者たちは萎縮している。植村バッシングは、他の記者に影響を与えています。時代が悪くなる時は、まず、記者の萎縮から始まります。
記者は、拷問されたりペンを折られることはない。自らペンを折るんです。それは、すごく危険なこと。だから、皆さん、良い記事があったら褒めてほしい。みんなで助けあってほしい。小さな勇気がたくさんある社会のほうが健全です。
ジャーナリズムだけに任せたらダメ。産経新聞の阿比留瑠比記者は私とのインタビューで、元慰安婦に直接、会って話を聞いていない、と言う。それで慰安婦問題を批判する。元慰安婦の証言を信じていないか、関係ないという立場なのです。
これが歴史修正主義者のもっとも悪いところです。

<引用終わり>

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